8年前、新入幕で13勝をあげ、いきなり優勝争いを繰り広げた、逸ノ城。

当時から「モンゴルの怪物」と呼ばれ、次期横綱候補と周囲の期待を集めていた。

身長192センチ、体重は公称で211キロ。体格に恵まれ、これまで優勝がなかったことが不思議にも思えるが、実は8年前の初優勝のチャンスを阻んだのが、当時圧倒的な強さを誇った横綱白鵬だ。

新入幕当時の逸ノ城
新入幕当時の逸ノ城
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平成26(2014)年、九月場所。出世が早すぎて髷(まげ)が結えず、ざんばら髪で幕内昇進し、新入幕の場所でいきなり優勝争いを演じた逸ノ城。

14日目に、本来なら当たるはずのなかった横綱との対戦が急遽組まれ、全盛期の横綱白鵬と当時21歳の逸ノ城が相星で対戦。白鵬は立ち合いから激しくぶつかると、最後は豪快な下手投げで退けた。

当時を思い起こし「一人の相撲ファンとしては今回、逸ノ城が初優勝して嬉しいですし、良かったなと思っています。(以前は)いかに自分が悪者だったかなと…」と、笑顔を交えながら語った。

逸ノ城は、この場所を含め平成31(2019)年3月にも14勝をあげ優勝争いをしているが、その時も壁となり立ちはだかったのが、母国の先輩である横綱白鵬だった。

7月28日付けで宮城野部屋を継承することが承認された間垣改め宮城野親方(第69代横綱白鵬)に、土俵で胸を合わせたからこそわかる逸ノ城の真の強さと、名古屋場所で初の賜杯に辿りついたその理由を聞いてみた。

使い分けていた左上手の位置

これまで恵まれた体格を持ちながら、スピードのある動きや横の変化に弱いなど、小柄な力士を相手にした時に弱点を露呈することもあった逸ノ城(29)。

名古屋場所5日目には、横綱照ノ富士と真っ向から勝負し、力でねじ伏せると堂々たる相撲で金星を獲得。さらに初優勝のプレッシャーがかかる千秋楽では、トリッキーな相撲で知られる宇良を、冷静な取り口で退け12勝3敗で栄冠をつかんだ。

一体、逸ノ城の何が変わったのか?その要因を尋ねると、宮城野親方は、左上手の使い方にあると語る。

「立ち合い立った瞬間に上手を取った時、上手を本当にいい位置から取っています。これを取ったことで、あそこまでの相撲が取れたと思います」(宮城野親方)

照ノ富士戦、宇良戦では左手の使い方が違う
照ノ富士戦、宇良戦では左手の使い方が違う

実際、5日目の照ノ富士戦でも、千秋楽の宇良戦でも立ち合いから間髪を入れずに左の上手を取った逸ノ城。だがよく見ると、照ノ富士との一戦と宇良の対戦では、左手の使い方が違っている。

この違いは何を意味するのだろうか?

「小さい相手にはまわしを下から取る必要がないので(千秋楽の)宇良戦は上から取っていました。それに対して自分より大きい、あるいは同じ身長・体重がある相手で、同じ四つ相撲であれば下からまわしを取ったほうがいい。今場所は、この上手を取る位置をうまく使えたことが優勝に繋がったと思います」(宮城野親方)

ーー大きい力士を相手に上から上手を取るとどうなりますか?

宮城野:

脇が開くから相手に下手を差し込まれてしまいます。

ーーではなぜ小さい相手には、上から上手を取ったほうがいいのでしょうか?

宮城野:

動きを止められるから。下からしゃがんでまわしを取りに行くと(自分の)相撲が小さくなってしまう。そうすると相手の早い動きについていけなくなるんです。

小柄で素早い力士を苦手とする逸ノ城だが、今場所は相手に合わせて左手を効果的に使うことで、自分の得意な形を作っていたのだ。

千秋楽の夜、初優勝を語る逸ノ城
千秋楽の夜、初優勝を語る逸ノ城

逸ノ城自身もこう語る。

「いつもの場所より今回は結構左上手を取れていたと思います。出足が良かったから取れたんだと思いますが、立ち合いの当たりも、ちょっとでもいつもより低ければ左上手を取りやすくなります」

「今回は調子も良くて、いつもの時よりちょっと低かったのか、速かったのか、そういうちょっとしたことがあったから、左上手を取れていたと思います」

落とし穴を回避したひとつの間

宇良との一戦
宇良との一戦

さらに宮城野親方は、勝負所の相撲で見せた、逸ノ城の落ち着きについても注目する。

「千秋楽の宇良戦でも攻め急がず、十分な形になってから前に出て行く落ち着きが今場所あったのかなと思います。初優勝がかかっていましたから、上手を取った時に喜んで前に出てもいいんですが、ひとつ間をおいて、ゆっくり攻めて行く。逸ノ城らしい型というか自分のペースに持って行きましたね」

「(力士は)自分の形になったら喜ぶんです。でも喜んで前に出て行った時に落とし穴がある。そこで今までの経験が、照ノ富士戦でも、最後の宇良戦でもいいように出たんだと思います」

進化を支えた部屋のサポートと横綱の存在

逸ノ城と言えば、その巨体が故に腰に負担がかかり、3年前にはヘルニアを患い「歩くどころじゃなくて、横になったら立つことも出来ない」時期を経験している。

その時傍らには、200キロを超える身体を支え、肩を貸してくれた部屋の力士たちがいた。

医師であるおかみさんは最適な治療方法を探し求め、師匠とともに病院へ連れて行くなど、まさに湊部屋一丸となって逸ノ城を支えてきた。

実際優勝直後のインタビューでも「親方、おかみさん、部屋の若い衆、いつも支えてくれている皆さんに(初優勝を)報告したい」と感謝を忘れない。

それでも令和2(2020)年には十両に陥落。恵まれた体を持て余し、コロナ禍で部屋に関取がいない事情もあり稽古不足もささやかれるなど、いまひとつ伸び悩んでもいた。

一方、同じ飛行機でモンゴルから日本に来た照ノ富士は、この間に大関に昇進するも怪我や病気も重なって序二段に陥落。そこから不屈の精神で横綱にまで昇りつめてみせた。

千秋楽の夜、初優勝を語る逸ノ城
千秋楽の夜、初優勝を語る逸ノ城

常に比較される立場にあった逸ノ城は「モンゴルから一緒に日本に来て、自分もひとつでも優勝しないと顔じゃない(恥ずかしい)なと」と感じていたという。

さらに横綱照ノ富士が、どん底から這い上がった復活劇について尋ねると「序二段まで落ちて苦しんだ時も、相撲を諦めないで一生懸命続けて上まで上がって行った姿が勉強になっています。自分は横綱に比べたら全然やれると思ったので、励みになりました。本当に強い横綱です」と尊敬の念を込めて語った。

旋風を巻き起こした新入幕から8年、苦しんだ日々に得た経験が天性のポテンシャルと結びつき、ついにつかんだ初優勝。

自信を得た男はどこまで進化を果たすのか。逸ノ城の怪物伝説は、まだ始まったばかりかも知れない。

(取材:横野レイコ、髙木健太郎、山嵜哲矢 文:吉村忠史)