岸田首相の涙でわかった
7月8日昼前に安倍晋三元首相銃撃の一報が入った後、心肺停止の情報、「ドーンドーン」という銃撃音、安倍氏が倒れている映像などが次々に入ってきて、胸の中に重い塊が入っているような苦しさを感じた。
午後3時前に遊説から急きょ東京に戻り、「ぶら下がり」取材に応じた岸田文雄首相が涙ぐんでいるように見えたので「やはりダメなのか」とわかった。

テレビの映像や音声がつらくて、何か救いを求めるようにネットを見ていたら、評論家の八幡和郎さんが「アゴラ」というサイトに「安倍狙撃事件の犯人は反アベ無罪を煽った空気だ」という文章を載せていたので読んでみた。
「安倍をたたき切れ」
八幡さんは「狙撃事件の犯人がいかなる人物かはあまり重要でない」とした上で、「安倍晋三氏については、特定のマスコミや有識者といわれる人々が、テロ教唆と言われても仕方ないような言動、報道を繰り返し、暗殺されても仕方ないという空気をつくりだしたことが事件を引き起こした」と解説していた。

八幡氏は「安倍をたたき切れ、といったものもいた」「国会で狂ったように憎悪を煽った議員もいた」「ヒトラーにいわれなく例えた市民運動家と称する人もいた」と具体例を挙げていた。
僕の胸につかえていたのはこれだった。安倍氏をこれまで口汚くののしってきた人たちが「無事を祈ります」と言うのを聞くのが苦しかったのだ。
そして昭恵夫人が病院に入った直後の5時3分、安倍氏の死亡が確認された。

警備は甘かったのか
今回、警視庁のSPや奈良県警による警備が甘かったという批判があるが、3月に札幌地裁で出た判決を思い出した人は多いはずだ。安倍氏の札幌での選挙演説中に「安倍辞めろ」とヤジを飛ばし警官に制止された男女が「政治的表現の自由を奪われた」と訴えて勝訴したのだ。
たとえ明らかに演説妨害に見えるヤジであっても「表現の自由」であるならば、街頭演説における警備というのはやりにくくなるだろう。あの判決以来、現場で警官による職務質問が減っているという話を聞いたことがある。
今回も容疑者がふらふらと近づいてきた時に、なぜ現場の警官が職質しなかったのか不思議だった。もしそういう「空気」があるとしたらこれは極めて危険なことだ。

安倍氏は首相時代に演説の妨害が続いたため遊説日程を公表しないこともあったが、退任して2年近くがたち、最近は予定を公表していた。
「闘う政治家」だった安倍氏に対しては攻撃もまた激しかったが、中には「許さない」とか「死ね」とか明らかに常軌を逸したものもあった。そしてそうした言動に対して私たちは「ダメだ」とはっきり言ってこなかったのではないか。

岸田首相は「卑劣な蛮行は許せるものではない」「決して暴力には屈しない」と言ったがそんなことは言われなくてもわかっている。私たちが苦しんでいるのは、日本という国が、この社会の空気が、安倍さんを殺してしまったのではないかということなのだ。
【執筆:フジテレビ 上席解説委員 平井文夫】