アメリカとの非核化交渉が難航し、暫く鳴りを潜めていた北朝鮮に、にわかに世界の注目が集まっている。最高指導者である金正恩委員長の「重体説」が駆け巡っているからだ。発端はアメリカCNNによる報道だが、「重体説」「死亡説」「病気になったが回復した説」「特異な点は全くない説」など、情報は錯綜している。北朝鮮が何らかの形で「答え」を見せない限り、何が正しい情報なのかは分からない状況だ。

ただ、この騒動の中ではっきり見えてきた事がある。それは文在寅大統領率いる韓国による、変わらぬ北朝鮮への「愛情」と、アメリカへの強い不満だ。

大統領府諮問機関「アメリカによる韓国牽制だ!」

韓国政府は金委員長の重体説について一貫して「特異事項はない」と静観しているが、文大統領周辺からは過激な論調が出てきている。

文大統領の諮問機関である民主平和統一諮問会議のチョン・セヒョン首席副議長は4月20日、CNNが報じた「金委員長重体説」について韓国メディアに問われ、「文大統領の北朝鮮への歩みを妨げようとする計算がある」と指摘。また、別の韓国メディアに対しては「金委員長重病説は、南北関係改善への不安から生まれた呪いの言葉だ」とまで表現した。

その上で「韓国は新型コロナウイルス対策で世界の模範となっており、2018年に南北軍事境界線にある板門店で開かれた南北首脳会談からちょうど2年になる4月27日ごろから、保健医療を前面に出して南北協力が始まりそうだ」との見通しを示した。金委員長重体説は「4月27日の前に『唐辛子をばらまいておこう』という事」だという。「唐辛子」というのは韓国的な表現だが、南北友好が進む前にアメリカが冷水を浴びせようとした意図を感じるという意味だろう。

この「呪いの言葉」や「唐辛子」を誰が出したのか?チョン副議長は、アメリカの軍産複合体が重体説の背後にあり、「国防予算を確保するための緊張を作りだしたと疑われる」と分析した。陰謀論のように聞こえるし、やや自意識過剰にも見えるが、これが文大統領のブレーンの1人の分析なのだ。

韓国にくすぶるアメリカへの不満

2018年4月27日に板門店で行われた南北首脳会談。両首脳は笑顔で握手していた
2018年4月27日に板門店で行われた南北首脳会談。両首脳は笑顔で握手していた
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こうした分析の背景にあるのは、韓国にくすぶる「アメリカのせいで南北の友好関係が進展しない」との強い不満だ。2018年4月の南北首脳会談以降、文在寅政権は北朝鮮との友好関係の推進にすべてを捧げてきた。

しかし、国連などによる対北朝鮮制裁があるにもかかわらず、あまりにも北朝鮮に傾倒する韓国を危惧したアメリカは、2018年11月に「米韓ワーキンググループ」を作り、韓国が単独で北朝鮮との関係を深化させないよう釘を刺せる枠組みを作った。2019年2月に行われた2回目の米朝首脳会談が決裂してからは北朝鮮側が態度を硬化させた事もあり、南北の友好親善はほとんど進展していない。

韓国側は態度を硬化させた北朝鮮では無く、ワーキンググループを設置したアメリカへの不満を強めていて、前出のチョン副議長は「アメリカが作った韓米ワーキンググループの統制を受けたせいで2019年は何も進展しなかった」とあけすけに批判している。

選挙大勝とコロナ対策で自信…韓国の北朝鮮政策に変化か?

現在韓国では「新型コロナ対策に成功した韓国を世界中が賞賛している」「欧米先進国が韓国に教えを請おうとしている」「過去これほどまでに韓国の評価が高まった事は無い」とのアピールが、政権やメディアから繰り返されている。

米韓電話首脳会談でトランプ大統領が文大統領に支援を求めた事、韓国系アメリカ人の妻を持ち「韓国の婿」とも称されるアメリカのメリーランド州知事が、韓国から診断キットを購入した事は韓国では大ニュースとして伝えられた。いわば高揚感・万能感に包まれているのだ。

また4月15日に行われた総選挙では、文政権を支える与党が歴史的大勝を成し遂げ、文大統領の支持率は60%を超えた。我が世の春を迎えた文大統領が選挙後に打ち出した最初の目玉施策は、悲願である南北友好を進めるためのものだった。

2020年4月27日に行われた南北鉄道事業の式典。北朝鮮からの出席者はいなかった
2020年4月27日に行われた南北鉄道事業の式典。北朝鮮からの出席者はいなかった

韓国政府は板門店での南北首脳会談からちょうど2年となった4月27日、北朝鮮と合意している南北の鉄道をつなげる事業の式典を開催した。しかし、北朝鮮からは出席者はおろか何の反応も無く、一方的なラブコールに終わった。韓国メディアによると、今回の鉄道事業の式典はアメリカ政府と協議はしたが、同意は得られなかったという。

さらに文大統領は同日、「新型コロナの危機が南北協力に新しい機会となることもあります。今は最も至急で切実な協力課題です」「南と北が共にコロナ克服と板門店宣言の履行にスピード感を出し、ポストコロナ時代を切り開き、共生発展する平和繁栄の朝鮮半島を開くことを期待します」と語った。制裁の枠に入らないとみられる保健分野での南北友好親善を進めようということだ。

チョン副議長は「統一省も大統領府も、アメリカといちいち相談をしたり事前同意を求める形ではなく、必要があれば韓国独自で対北朝鮮政策を展開するという意志」があると表明している。アメリカとは在韓米軍駐留費の分担金問題で対立を深めており、コロナ対策と選挙で自信をつけた文政権は、今後アメリカの意向に反してでも対北朝鮮融和政策を推し進める可能性がある。金委員長の重体説は、こうした韓国の不満と希望を浮き彫りにするきっかけとなったのだ。

【執筆:FNNソウル支局長 渡邊康弘】

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渡邊康弘
渡邊康弘

FNNプライムオンライン編集長
1977年山形県生まれ。東京大学法学部卒業後、2000年フジテレビ入社。「とくダネ!」ディレクター等を経て、2006年報道局社会部記者。 警視庁・厚労省・宮内庁・司法・国交省を担当し、2017年よりソウル支局長。2021年10月から経済部記者として経産省・内閣府・デスクを担当。2023年7月からFNNプライムオンライン編集長。肩肘張らずに日常のギモンに優しく答え、誰かと共有したくなるオモシロ情報も転がっている。そんなニュースサイトを目指します。