台場のフジテレビ本社の向かい、デックス東京ビーチのアイランドモールにレゴランド・ディスカバリー・センター東京がある。食事などの行き帰りに幾度となくその前を通り、面白そうだな、いつか入ってみようと思いながらも、忙しさにかまけていまもまだ果たせないでいる。
そうこうしているうちに東京・神田の三省堂書店 神保町本店が建て替えのために取り壊しになることを知った。「いったん、しおりを挟みます」という、美しくも書店らしい言葉を残しての一時閉店である。ずいぶんとお世話になった大規模書店なので、最後に書店の姿を目に焼きつけておこうと出かけたときに、「レゴ」に関連する書籍を見つけた。ただし、これはレゴを使った作品集ではなく、レゴという企業の苦難の歴史とその企業戦略を描いた本なのである。それが『レゴ 競争にも模倣にも負けない世界一ブランドの育て方』(蛯谷敏 著・ダイヤモンド社)である。

創業者は木工家具職人

中高年はいうまでもなく、生まれた時からすでにテレビゲームがあった若い世代の人たちも「レゴ」というブロック玩具を知っているだろう。それほど有名な知育玩具だが、レゴという会社は意外に知られていないのではないだろうか。評者自身もヨーロッパ、それも北欧の会社かなという漠然とした認識はあったが、この本でデンマークの会社であることを初めて知った。

創業者はオーレ・キアク・クリスチャンセンという木工家具職人だった人物で、1932年に木製玩具の製造・販売を始めたことが実質的な玩具メーカーの始まりとなった。

「子供たちにも、大人と同じ品質の製品を提供すべきだ」というのがオーレ・キアクの持論で、動物や消防車などは細部にこだわってリアリティーを追求し、さらに頑丈さも売りにした。その精神はのちの「レゴ」ブロックにも引き継がれていく。そしてその2年後、社名を「LEGO (レゴ)」とした。「LEGO」はデンマーク語の「Led God (よく遊べ)」からの造語だが、偶然にもラテン語で「私は組み立てる」という意味があるらしい。面白いことに、社名がのちの世界的メガヒットとなる商品を先取りした形になった。

レゴブロックの画期性は、積み木とプラモデルの利点を両方から取り込んだところにある。積み木は崩しては組み立てることができる。ただ、一つ一つが大きくて何を組み立てるにしても大雑把なものになってしまう。一方のプラモデルは最初から完成形が決まっていて、積み木のような融通性はない。部品が小さいのでリアルなものが作れるが、接着剤を使うので一旦組み立てたら分解できない。

レゴブロックはその積み木とプラモデルの欠点を消し、利点だけを取り込んだ玩具なのである。積み木と比べて一つ一つが小さいので、ある程度以上の大きさの作品を作れば、それなりのリアリティーを実現できるし、接着剤を使わないので、消防車を分解してサンタクロースを作ることもできる。この場合、消防車を構成していた赤いブロック群はサンタクロースの赤い服に変身する。そういった遊びは子供たちの創造性を刺激するだろうし、ブロックの大きさは子供たちの手先の器用さを育むはずだ。これは評者が思いついた「レゴ試論」だが、優れた知育玩具になるに違いないと、クリスチャンセン父子は、その新製品に大いに期待をかけたに違いない。

しかし気負いとは裏腹に、子供たちの反応はいま一つだった。実は初期のブロックは、ブロック同士がカチッとはまる工夫を欠いていたのだった。つまり積み木と同じようにただ積み上げて遊ぶようになっていた。試行錯誤の末、現在の「ブロック裏側に3本のチューブをつけ、下にくるブロックの表面にあるポッチと3点を連結させるスタッド・アンド・チューブ連結と呼ぶ仕組みを生み出した」のだった。

その後は順風満帆といっていい成長を遂げた。レゴ社はブロックと並行して木製玩具やプラ玩具も作っていたが、木製玩具製造工場が火災で焼失したことを契機に、レゴブロックに経営資源を集中させることにした。1960年代のことである。やがてレゴは世界的ブランドの地位を固めることとなった。

画像:Luce / PIXTA(ピクスタ)
画像:Luce / PIXTA(ピクスタ)
この記事の画像(3枚)

若き後継者による「原点回帰」

だが、そんなレゴ社にも、画期的な新商品を開発した企業に不可避の宿命が待ち構えていた。特許の期限切れである。

先に書いた「スタッド・アンド・チューブ連結」という「クラッチ構造」の特許取得(1958年出願)から20年がたち、世界各国で特許期限が切れはじめた。すると雨後の筍のように、レゴブロックの類似商品が市場に乱立しはじめる。その中には本家レゴブロックと互換性のあるものもあったという。そして当然のことながら、レゴよりかなり廉価な価格設定がなされていた。さらに任天堂が1983年に発売した「ファミリーコンピュータ」が追い打ちをかけ、レゴはもはや時代に取り残された玩具と考えられるようになってしまった。

「あまりにも成功していた期間が長すぎた。競争環境は変わっているのに、社員たちはなお、レゴが一番子供たちを理解していると過信していた」「どんなに新しい玩具が出ても、最後は飽きてレゴに戻ってくるはずだ」「このままでは誰もがまずいと思っていたが、状況を変えられる雰囲気ではなかった」。この本に書かれている当時のレゴの社員たちの言葉である。過去の傲慢の反省、根拠のない強気、そして諦めによる傍観……奈落の底に落ちた企業。その社員の典型的な反応を、ここに見ることができる。

その後、外部から新たな経営者が招聘(しょうへい)され、テレビ番組との連動、アパレル、時計、ベビー用品などの分野でライセンスビジネスが検討された。映画「スターウォーズ」シリーズを作っていた当時のルーカスフィルムとの提携もその一つで、スターウォーズのレゴ版は最新の映画シリーズが出るたびに大ヒットとなった。しかしその成功は長くは続かなかった。外部の有力コンテンツとのコラボは、レゴ社内の製品開発力を損なわせ、レゴのブランド力の低下を招いてしまったのである。

レゴは新たな後継者を指名した。その男はクヌッドストープ。レゴに入社して3年目、35歳という若さだった。元マッキンゼー・アンド・カンパニーにいたエリートだが、教員免許も持っているという変わり種でもある。クヌッドストープのレゴ再建策は大雑把に言って「原点回帰」だった。もちろん成功している事業は継続するが、「レゴ」という玩具をもう一度見つめなおすことで突破口を切り開こうと考えたのだった。

クヌッドストープは著者とのインタビューでこう語っている。

「ピアノは、もちろんそれ単体で楽しめますし、楽譜がなくても弾くことはできます。けれど、楽譜があればまた違った楽しみ方ができますよね。(中略)レゴも同じ考え方に立っています。確かに、ブロック単体でも楽しめるけれど、我々がいろいろな種類の“楽譜”を用意することで、子供たちの楽しみ方を広げている。(中略)レゴもプレイテーマを通じて一度作り方を覚えてしまえば、後は自分の世界観を自由に作り上げることができます」。

優れた知育玩具である証明だろう。

デンマーク・ビルンにある「レゴハウス」
デンマーク・ビルンにある「レゴハウス」

企業の社内教育にも応用

この「知育玩具」は子供だけに有効に働くだけではない。「レゴシリアスプレイ」といって、企業の社内教育にも応用されているのだ。

ここではファシリテーターという会議進行役が重要な役目を果たす。会議に参加した社員たちは、肩慣らしにレゴブロックを使ってタワーを作り、完成すると自分の作品の説明をし、お互いに論評しあう。次にファシリテーターは「あなたの一番の強みを、レゴで表現してください」と指示を出す。すると、参加者たちは戸惑いを見せる。まあ、当然の反応だろう。そんな抽象的な事柄をレゴで表現しろというのは、相当な無理難題に見える。ファシリテーターは続けて、とにかくブロックを手に取ってください、思い浮かばない場合は、なにも考えずブロックを組み立てるだけで結構ですと促す。

ファシリテーターに励まされた参加者たちは、矢印を作って自分の「突破力」を表現したり、タワーにミニフィギアを乗せて「視点の高さ」を表現したりして、参加者はその意味を説明し、質疑応答が繰り返される。この過程を経て、「作り手は自分の中にある漠然とした概念やアイデアが、レゴで組み立てた作品を通して言語化できる感覚をつかみ始める」という。この「レゴシリアスプレイ」は質問内容をさらにレベルアップさせて、参加者や組織が最も大切にする価値を浮かび上がらせることに、その最終目標があるという。その最終目標が社員全員で共有することができれば、企業の体質は強化されることになる。もちろん、それぞれの会社には「社是」というものがあり、社会貢献云々と書かれているのが普通だ。ただ、書かれているものはしょせん書かれたもので、手を使って、個人の深いところにあるそういった概念を浮かび上がれせたものとは、まったく違うものになってくるだろう。仕事における判断基準が明確になる意味は大きい。なるほど、と感心するばかりである。

日本には昔から「手仕事」という言葉がある。またラテン語でmanusは「手」を意味し、ご存じの通り「工場制手工業(manufacture)」や「手引書(manual)」の語源になっている。
太古の時代、樹上生活を送っていたサルの仲間が地上に降りて二足歩行を始めたとき、枝を握り、地面をける必要のなくなった手は自由を獲得した。そして自由になった手や指を使って原人類は手で石器を作り、指を折って数を数え始めた。それによって人類はほかの動物とは一線を画す知能を手に入れることができた。

そう考えると、手や指先を使って物事を考えるという姿勢は、現代人が想像する以上に、はるかに優れた手法なのかもしれない。

【執筆:赤井三尋(作家)】

『レゴ 競争にも模倣にも負けない世界一ブランドの育て方』( 蛯谷敏 著・ダイヤモンド社)

赤井三尋
赤井三尋

本名・網昭弘 早稲田大学政治経済学部卒業後、ニッポン放送に入社。2003年『翳りゆく夏』で第49回江戸川乱歩賞受賞。2006年フジテレビジョン報道局へ転籍。
【著書】
『翳りゆく夏』( 講談社文庫)
『どこかの街の片隅で』( 単行本・講談社 改題して『花曇り』講談社文庫)
『2022年の影』(単行本・扶桑社 改題して『バベルの末裔』講談社文庫))
『月と詐欺師』( 単行本・講談社 講談社文庫【上・下】)
『ジャズと落語とワン公と 天才!トドロキ教授の事件簿』(単行本・講談社 改題して『面影はこの胸に』講談社文庫)
【テレビドラマ】
翳りゆく夏(2015年1月18日 ~(全5回) WOWOW「連続ドラマW」主演:渡部篤郎)