半世紀の時を経て再び注目されているのが、復帰直前に琉球政府が作成した「建議書」の存在だ。平和憲法のもとに復帰し、「基地のない平和の島」を望む沖縄の思いがつづられていた。
作成に奔走した、当時の琉球政府の職員に思いを聞いた。

「茨の道」と例えられた本土復帰への道のり…

本土復帰50年の節目に合わせ、2022年4月30日に開かれた集会。

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元琉球政府職員 平良亀之助さん:
一番世界で冠たる平和憲法のもとへ帰りたいという、また帰さなければならない義務があるだろうと、そういうものが私の体を貫いたのが、いわゆる復帰運動の一つでした

登壇者の一人、平良亀之助さんはかつて琉球政府の職員として、沖縄の復帰対策に取り組んだ。

元琉球政府職員 平良亀之助さん:
建議書は生きている。再度、建議書を政府に、今の玉城デニー知事がぶつけていくと、切に願っております

1969年11月、佐藤栄作総理大臣とアメリカのニクソン大統領による共同声明で、沖縄の72年返還が合意された。

元沖縄県知事 屋良朝苗さん:
この道には幾多の困難が立ちはだかり、文字通り茨の道となるでしょう

県民が望む復帰のために…奔走した琉球政府職員たち

かつて琉球政府に設置された「復帰対策室」。その一員として、沖縄の本土復帰に向け取り組んだ平良亀之助さん(85)。当時33歳で、人々の宿願に力を尽くす喜びを感じていた。

元琉球政府職員 平良亀之助さん:
歴史上の大転換期に、沖縄の県作りに関わることができたというので、みんな(目を)輝かせて、一生懸命やってたよ

国と県が復帰という一つの方向性に向かって歩み始めた中、亀之助さんは関係各所の意見を集約し、沖縄が望む復帰の形を日本政府に伝えていた。
ところが、日本政府からまったく音沙汰が無いことに焦りを募らせていた。

ある日、琉球政府に秘密裏に届けられていた、復帰関連法案の中身を見て、その意味を知る。
政府が考える復帰措置では、沖縄にアメリカ基地が残り続ける上、自衛隊駐留の可能性まで示唆されていた。

戦後も、アメリカ軍基地があるがゆえの事件・事故に苦しめられてきた住民にとって、復帰は広大なアメリカ軍基地が無くなり、平和憲法の元に帰ることを切実に望むものだった。
しかし、その思いがまったく汲まれていないことが突きつけられた。

元琉球政府職員 平良亀之助さん:
形の上では沖縄の声も取り入れる中で、復帰業務が推進されているという見せかけの片棒を担がされていることに気がついた

元琉球政府職員 平良亀之助さん:
これ、何とか国会成立する前に手に入れて検討してみようじゃないかと

復帰関連法案について審議する沖縄国会の会期が迫る1971年9月30日、亀之助さんを含む若手職員や法律の専門家など、「復帰対策要綱点検プロジェクトチーム」による「総点検」が始まった。

元琉球政府職員 平良亀之助さん:
何にもせずに、ただ拱手傍観していいのかと。何かくさびを打ち込む、何か方法はないかと。泊まり込みで徹夜体制で、みんな必死になってやった

わずか一か月足らずで書き上げられたのが、基地問題や社会保障などに関する要望を全132ページに渡ってまとめた「復帰措置に関する建議書」だ。屋良主席自ら書き上げた前文には、沖縄がもっとも望む願いが書き綴られた。

元沖縄県知事 屋良朝苗さん:
基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります

元琉球政府職員 平良亀之助さん:
この建議書の柱は、何といっても基地のない平和な島を構築するというのが、この全体の柱と言っていいんですよ

「建議書は生きている」今に続く精神

切実な思いを建議書とともに届けるため、屋良主席は審議が始まっている国会に向けて上京、
ところが…1971年11月17日、国会では沖縄返還協定が強行採決された。

元琉球政府職員 平良亀之助さん:
怒りと、やっぱりそうなのかと…この建議書は届かなかった。いわゆる門前払いされた。裏を返すと(建議書は)琉球政府、つまり沖縄の全ての声を集約して作り上げたもの、要求・意見等全く取り入れない形で(押し進めた)

失意の中、屋良主席は強行採決の翌日に佐藤総理などに自ら建議書を手渡した。亀之助さんは、採決には間に合わなかったものの、沖縄の声が建議書として政府に届いたことは歴史上大きな意味があると語気を強める。

元琉球政府職員 平良亀之助さん:
50年経った今も、今の日本政府に堂々と物を言えるのは、この建議書を突きつけてあるからですよ。なんであのとき言わなかったかと言う、そのことがもう目に見える。だからそれを言わせないためにも、この建議書は本当に有意義であるし、有効であると

建議書をもう一度…沖縄の未来を思う心が交錯

復帰50年の節目となる2022年。県は、沖縄の将来像を改めて示そうと「今後50年先の沖縄のあるべき姿」をテーマに、当時の内容と比較検証を行いながら、新たな建議書の作成に取り組んでいる。

眞榮城俊幸さんは34歳、復帰を知らない世代。それでも50年前の建議書は今に通じるものが多くあると振り返る。

県企画部企画調整課 眞榮城俊幸さん:
県民福祉を最優先に考えている。これは我々公務員の仕事の至上命題で、今も昔も変わらないところだと思いますし、気持ちが刻まれている文脈っていうのもたくさんありますので、そういうところが一番読み返しても目立つというかですね、光ってる

広く県民の思いを反映しようと、2022年2月から約3週間意見を募集したところ、533件が寄せられ、そのうち6割が10代と若い世代からだったという。

県企画部企画調整課 眞榮城俊幸さん:
今の課題がたくさんあって、だからこの沖縄になってほしいという意見もありますし、より今の沖縄の良いところをさらに伸ばしていってほしいというような、そういったご意見も(寄せられている)

今回の建議書作成にも、有識者の一人として携わっている亀之助さん。若い世代の取り組みに熱い期待を寄せている。

元琉球政府職員 平良亀之助さん:
私はね、胸が熱くなる思いです。(建議書は)日本政府に今現在そのままでもいいぐらい通用するぐらいの中身ですから、一つ、そういうふうなことで再度物申すということをやってください

変わらない沖縄の未来を思う心が、50年の時を経て交錯し、新たな一歩を踏み出そうとしている。

(沖縄テレビ)

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