爆撃の煙は毎日…キーウで目にした戦争の傷

24歳の若きジャーナリスト、小西遊馬さん。ポーランドから陸路でウクライナに入り、キーウに約2週間滞在した。小西さんが見た戦地とは。

小西遊馬さん:
私が滞在している間はキーウ自体で市街戦はなかったのですが、爆撃自体は毎日のように行われていました。私が滞在していたのがキーウの北西に当たる部分で、いわゆる解放されたイルピン、ブチャから林を隔ててすぐのところに住んでいました。毎日、爆撃の煙が見えたり、ミサイルが飛んでいる様子、迫撃砲で撃ち返す様子を本当に目視できるような近さで、近所に4カ所は爆撃を受けていました。

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キーウ取材中、小西さんが滞在していた場所は…。

小西遊馬さん:
キーウからポーランドに逃げた、ある家族のアパートに滞在させていただいていました。知人が「そこは逃げた方が使っていいよと言ってるので、ぜひ使ってほしい」と。そういう彼らなりの支援の仕方だと思うんですけど。戦争が始まってすぐに逃げたその跡っていうのは、すべて残っているような状態で。洗濯物が洗濯機の中にあったり、子供が床で遊んでいたおもちゃがまだ片付いていなかったり。非常に複雑な気持ちで、取材を終えて帰ってきても、戦争の傷というものを目にしながら過ごしていました。

「慣れてくる」戦下で暮らす日常

爆撃の音が響く中、夜は寝られたのか。

小西遊馬さん:
最初はやはり寝られなかったですね。すごく怖くて、窓にテープを貼ったり、ちゃんと夜暗くなったら電気を消して、ロシア側から人がそこにいるっていうことがわからないようにしたり。ベッドを窓からなるべく遠くの方にして、もし爆風などでガラスが砕け散ったとしてもけがをしないようにとか。そういう細心の注意をずっと払いながら過ごしていました。ただ、同時に2週間ぐらいいると徐々に慣れてきます。音などの大小によって距離感とか、これはロシア側からか、ウクライナ側からかとか、なんとなくわかってくるので、そういう不安っていうのは徐々に消えていきました。

戦争中でも子供たちが公園で遊んでいる映像も見たりするが、住民はどういう状況で暮らしているのか?

小西遊馬さん:
キーウといっても、かなり地図上で見るよりは大きくて。ですので、すべての地域が今のマリウポリであるとか、ブチャとかイルピンのようにひどい状況に置かれているわけではないという感じですね。比較的、爆撃が起こる時間帯は夜、それから朝方。ミサイル自体が見えてしまうと迫撃砲を打ちやすいので。そうすると夜や朝方の時間帯を中心的に撃つんですけど。そういうことを考えると、日中は多少注意しながら外に出るということは可能だということですね。

大事なのは「声なき声」の側に立つこと

SNSについては、動画や写真をすぐにはアップしないようにと、政府が通達を出しているという。

小西遊馬さん:
爆撃を受けてすぐは、SNSにアップしないようにして欲しいと、正式に通達が出ている模様です。その一つの理由としては、フェイクニュースなど様々な情報がロシア側の方策であったり、ウクライナ側の方策であったり、非常に複雑に絡み合って報道がされていく中で、市民の人たちのプロフェッショナルではない情報が、正式でない形でSNSなどで出回ることで、利用されたり、勘違いを生んだりするっということで、混乱を防ぐために。

軍事施設の場所の特定などを可能にするので。それはやはり私がキーウに行ったときも、ジャーナリスト自身もスパイになり得る、ブロガーやジャーナリストが写真を撮ったり、映像を撮ったりするのをSNSにアップすることで、場所が特定されるので警戒されたりしました。

日本に帰国した今、思うことは…。

小西遊馬さん:                                     日本に帰ってきてSNSを見て思うのは、フェイクニュースのことが非常に議論にのぼっている。僕も大なり小なり情報戦はあると思うのですが、国家としてのウクライナ側、あるいはロシア側のどちらなのかという話も重要なんですけど、一番大事なのはそれ以前に、やはり我々にできることっていうのは、力のない、声なき声の側に立つことであって。そのことをちゃんと考えていただきたいと思いますね。

(「Mr.サンデー」4月10日放送)