「常に新人」と語っていた漫画家の巨匠、藤子不二雄Ⓐさん(本名・安孫子素雄さん)が亡くなった。88歳だった。

藤子不二雄Ⓐさん(2008年):
僕は50何年やっていますけど、いわゆるプロとしての認識は全くないんですよ。全く新人で毎回、原稿描いている気持ちじゃないと続かないですよね

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「忍者ハットリくん」や「怪物くん」といったコメディ作品から、人間の心の闇をあぶりだすブラックユーモアのある「笑ゥせぇるすまん」まで。数々の人気作品を手がけた藤子不二雄Ⓐさんについて、行きつけの居酒屋の店長は…。

第二力酒造・黒田哲郎店長:
手塚先生を本当に慕って。「俺は漫画家になりたいんだ」っていうのは、最後の最後まで言ってたよね

めざましテレビの取材から見えてきたのは、漫画への尽きることのない熱い情熱だった。

藤子・F・不二雄さんとの出会いは小学生

4月7日、亡くなったことが分かった藤子不二雄Ⓐさんは1934年、富山県氷見市生まれ。小学生のとき、後にドラえもんなどの作品を手掛けることになる「藤子・F・不二雄」さんと出会った。

フジテレビの番組「ボクらの時代」で漫画家のさいとう・たかをさん、ちばてつやさんと対談した際には、その出会いについて話していた。

藤子不二雄Ⓐさん(2009年):
誰か寄ってきてね、富山弁で「お前絵がうまいのお」って。ひょっと見ると痩せた子が立ってて、それが藤本(藤子・F・不二雄)なのよ

1951年、高校生の時に漫画家デビュー。1954年に藤子・F・不二雄さんと共に上京した。下積み時代を過ごしたのが、伝説のアパート「トキワ荘」だ。

「鉄腕アトム」の手塚治虫さん、「仮面ライダー」の石ノ森章太郎さん、「天才バカボン」の赤塚不二夫さんなど、漫画界の巨匠たちと切磋琢磨しながら藤子・F・不二雄さんと”藤子不二雄”の共同ペンネームで、大ヒット作「オバケのQ太郎」を世に送り出した。

子ども向けから”心の闇”を描く漫画まで

さらに1人でペンを取った藤子不二雄Ⓐさんは、「忍者ハットリくん」や「怪物くん」など、子供たちに愛される作品を制作。野生児の猿丸が、様々なゴルファーとの対決を繰り広げる「プロゴルファー猿」も人気を博した。しかし、子供向け漫画が徐々に心の負担になっていったという。

藤子不二雄Ⓐさん(2018年):
だんだんそういうもの(子供向け漫画)を描くのが苦痛になってきたんですよ。「笑ゥせぇるすまん」の前身の「黒イせぇるすまん」っていうのを描いて、この方向なら俺はいけるなと思って、ガラッと(作品が)変わったんですよ

こうした葛藤を抱えた中で生まれたのが「笑ゥせぇるすまん」。人間の欲深さや心の闇を切る取るストーリーで大人たちの心もつかんだ。

男性(30代):
笑ゥせぇるすまんも大好きで。(登場人物が)実は弱い一面を持っていて、私自身もずっと弱さを抱えて生きているような人間なので、そういう人に刺さる

故郷にキャラクター像 町おこしにも協力

藤子不二雄Ⓐさんの故郷、富山県氷見市を取材すると町の至る所にキャラクター像があった。

めざまし取材班・庄賀由花:
「まんがロード」と言われているのですが、忍者ハットリくんに出てくるキャラクターが飾られています

故郷の町おこしにも積極的に協力していたという。

氷見市観光協会・松原勝久会長:
著作権とか色んな問題がたくさんあるとは思うんですけど、先生は「故郷のためなら何でもしてやろう」という気概のある方でした

生家のお寺に「喪黒福造風」だるま像

さらに藤子不二雄Ⓐさんの生家の寺で、おいの菊池さんが見せてくれたのは、藤子さん自ら筆をとり「笑ゥせぇるすまん」をモチーフに描いたというだるま像。

藤子不二雄Ⓐさんのおい・菊池耕一住職:
禅寺だから、だるまさんということで。喪黒福造風に描いてもらった

藤子不二雄Ⓐさんについて話を聞いてみると…

藤子不二雄Ⓐさんのおい・菊池耕一住職:
「キャラクターも全部、丸く丸く。自分の心も数珠の玉のように、角を取っていく形で自然に丸くなってしまう」と。(生まれが)お寺の人だからそうなっていくのかなと

ファンにも快く対応 多くの人に愛された素顔

「ボクらの時代」(2009年放送)の盟友たちのとの対談では、明るい素顔をのぞかせることも。

藤子不二雄Ⓐさん:
普通みんな難しい顔をして原稿描いているけど、ゴルフの後、わーって(宴会を)やるとみんな子どもに返ってね楽しいんですけど。そのあとまたね、この人(ちばてつや)がね、銀座へ出よーって言うんですよ

ちば・てつやさん:
誰のこと言ってんの?

さいとう・たかをさん:
よく言うわ!(笑)

ちば・てつやさん:
人の腕掴んで離さないのよ「行こう!」って(笑)

その明るさは、藤子さん行きつけの居酒屋でも。偶然出会ったファンにも快く対応したという。

第二力酒造・黒田哲郎店長:
個室とか部屋の中には入らない人。(来ていた)子どものお姉ちゃんの方が、藤子先生だって気づいて。「藤子先生ですか」って言ったら「そうだよ」って。「じゃ今、ライフ(スーパー)でも行って色紙でも買ってきな」って言って。嫌だとは絶対言わない人だった

「あまりも突然」と悲しみの声…漫画への情熱は次世代へ

そんな藤子不二雄Ⓐさんの訃報に、盟友ちばてつやさんは「いつも周りの人たちを楽しませるエンターテイナーだった、誰からも愛された藤子Ⓐさん。だから笑顔で見送ってあげたいけれど、あまりも突然すぎて…。あまりも寂しく、悲しすぎます」とコメント。

藤子さんと親交があったタレントの中川翔子さんは「信じられないです。とてもお元気でいつも笑顔いっぱい、優しくて大好きな藤子先生。一緒におでんをたべたり、カラオケしたり、お酒を飲んだり、楽しい思い出ばかりです」とつづった。

漫画界だけでなく、様々な人と交流があった藤子さん。漫画を描く上で大切にしていたのも、人と人との関わりだった。

藤子不二雄Ⓐさん(2018年):
漫画を描くってのは好奇心を持たななきゃダメなんで。いくら美しい景色を描いても、漫画にはならないんですよ。必ず人間が出てきて変なことをやるから、それを描くから面白いわけで。人間に対する好奇心がね、漫画を描かせたわけで

そして近年は度々、漫画文化の今後の展望を話していた。

藤子不二雄Ⓐさん(2018年):
今、日本の漫画はどんどん進化して、例えば「ワンピース」とか「ジョジョの奇妙な冒険」とか。僕らの時代の漫画とは全く進化した漫画になってるんですけど。世界一、日本が誇るべきものは漫画だと思うんですよ。若い漫画家の方がすごい力を持ってきている。これからもますます50年、60年、70年、100年と(漫画文化)が続くと思います

現代漫画の礎を築いた88年。その想いは次の世代へ受け継がれる。

(「めざましテレビ」4月8日放送より)