原発から20km 3000人が暮らした川内村

福島県川内村の遠藤雄幸村長(67)は、原発事故に伴う避難指示が出された市町村で唯一、震災当時からトップを務めている。

震災当時から村長を務める
震災当時から村長を務める
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川内村・遠藤雄幸村長:
原発事故が起きるなんていうことは、あの日まで我々も想定していませんでした

最大で15メートルの高さに達した津波に襲われた、東京電力・福島第一原子力発電所。3つの原子炉で核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起き、大量の放射性物質が放出される世界最悪レベルの原発事故に至った。

最大15mの津波に襲われた福島第一原発
最大15mの津波に襲われた福島第一原発

約3000人が暮らしていた川内村は、福島第一原発から20km離れている。そのため震災直後は、避難指示が出された20km圏内に位置する富岡町からの避難を受け入れていた。

川内村・遠藤雄幸村長:
ひょっとしたら、川内村民も避難せざるを得ない状況になるんじゃないかと感じました

大型バスで避難する人たち
大型バスで避難する人たち

そして、事故から4日後の2011年3月15日。福島第一原発から半径20~30km圏内には「屋内退避」が指示され、川内村も大部分が対象エリアとなった。

「避難指示」と「屋内退避指示」の対象エリアとなった川内村
「避難指示」と「屋内退避指示」の対象エリアとなった川内村

菅直人首相(当時):
20km以上、30kmの範囲の皆さんには、今後の原子炉の状況を勘案しますと外出をしないで、自宅や事務所など屋内に退避するようにしていただきたい

情報もなく…長期化した避難「希望を失ってはいけない」

遠藤村長が国の指示を待たずに全村避難を決断したのは、その翌日だった。

川内村・遠藤雄幸村長:
各集会所に、村にあったマイクロバスで村民を迎えに行って、郡山市のビッグパレットに避難をさせました

しかし、具体的な避難計画は決めることができなかった。

川内村・遠藤雄幸村長:
避難先まで自分たちが交渉しなくちゃいけないということもありましたし、放射能がどのくらいの線量なのか、あるいはそれが許容できる範囲なのか、こういったことが情報としてなかった。その中でも、人の移動がどうなのかっていうことも、やはり不安でしたね

村内では事故後、固定電話や携帯電話はつながらず、唯一の通信手段は1台の衛星電話だった。物資も届かない“孤立無援”の状態で、村民の命を守るための決断を強いられた。

川内村・遠藤雄幸村長:
まず情報が直接、国や関係者の人たちから入ってない。テレビの情報を見ながら判断していく。それも本当に確実なのかどうかすら分からない状況です。情報は本当に命です

政府は1カ月後の2011年4月22日、川内村を「避難区域」に指定。避難は長期化し、いつ村に帰れるのか分からなくなった。

川内村・遠藤雄幸村長:
どういう状況でも希望を失っちゃいけないなっていう事ですかね。確かに過酷で先行きが見えない。ですが、そういう中でもやはり…希望を見失わない、あるいは光を見せるような動きも必要だと感じました

ビッグパレットふくしまに開設された川内村役場
ビッグパレットふくしまに開設された川内村役場

「帰還」を早期に決断 村の復興の後押しに

光が見え始めたのは、事故から半年後の2011年9月30日だった。政府は原子炉の冷却にめどが立ったことや、村内の線量が比較的に低かったという理由から、村内の大部分を占めた「避難区域」を解除した。

緊急時避難準備区域の解除を発表した野田首相(当時)
緊急時避難準備区域の解除を発表した野田首相(当時)

事故から1年が近づいた2012年1月31日、遠藤村長は再び決断した。

川内村・遠藤雄幸村長(2012年1月の会見):
マスメディアの皆さまを通して、県内や全国26都道府県に避難している村民の皆さまに帰村を促すため、帰村宣言をするものです。2012年は復興元年と考えています。スタートしなければゴールもありません。お世話になってきた多くの方への感謝の気持ちを忘れることなく、試練を乗り越えていく覚悟です

会見で川内村への「帰還」を宣言する遠藤村長
会見で川内村への「帰還」を宣言する遠藤村長

避難区域が設定された自治体の中で、最も早い「帰還宣言」だった。帰還後は、全村民3日分の食料や防災用品を備えた備蓄倉庫を整備。孤立状態を防ぐために、非常時に連絡が取れる衛星電話の拡充や防災メールの導入など、災害に強い村づくりを進めてきた。

川内村・遠藤雄幸村長:
大きな教訓は、想像してみるということだと思います。僕らはあの日まで、原発事故は起こらないと思っていましたから。それは、想像力が足りなかったんだと思います

自衛隊の放水が行われた建屋
自衛隊の放水が行われた建屋

川内村・遠藤雄幸村長:
事故は起こるものだともっと想像していたら、そのための備えをしていたら…。原発関連死で川内村から100人の方が亡くなっています。もっと少なくできたんじゃないかと、今は思います。やはり想像して備えていくということが大切だと、今回の事故で教えられましたね

一方、早い段階の「帰村宣言」は村の復興を後押しした。村内の居住率は2014年6月で46.5%だったが、2022年1月1日時点で82.6%に増え、帰還が進んでいる。

復興に向け帰還が進む川内村
復興に向け帰還が進む川内村

村長にとって、この11年間はどんな11年間だったのか…。

川内村・遠藤雄幸村長:
守りたい人がいる、あるいは大切な所がある。これに勝るものはないなという思いで進めてきた11年間です

(福島テレビ)