ケンカ腰の慎太郎にビビった

12年前に放送された「新報道2001」の録画を見ながらこの原稿を書いている。ゲストは石原慎太郎東京都知事、政権与党だった民主党の若手議員が何人か出演していた。

普段は放送前の控室で和気あいあいとおしゃべりをするのだが、石原氏は若手議員が出した名刺を「俺は最近の若い奴は知らないからいいよ」と言って受け取らなかった。もちろん自分の名刺も出さない。いきなりけんか腰だ。こういう政治家は初めて見た。ずいぶん失礼な人だなと思った。

案の定、放送では民主党政権とりわけ鳩山首相について口を極めて罵倒し、皆がシュンとして聞いていたのだが、途中で突然石原氏は小沢一郎氏が自民党の福田政権との大連合を模索した時に、改憲と消費増税を考えていたという秘話を披露した。

石原氏は「こういう大事な国策を君ら若い者がやれ」と民主党議員にハッパをかけ、彼らは「そんな話初めて聞きました」と驚きながらも、「頑張ります」と答えて終わるという何とも不思議な展開になったのだった。

1968年 参議院選挙に初当選
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慎太郎のサプライズ

石原さんという人は常に我々凡人を驚かせる行動や発言をする人だった。石原都知事の功績の中で僕にとってのサプライズ3つは、
1:ディーゼル規制
2:東京五輪招致
3:尖閣購入計画
である。

2002年「ディーゼル車NO作戦」を展開した石原氏 会見場で粉じんを振りまくパフォーマンスも

ディーゼル規制を石原氏が発表した時、フジテレビはちょうどお台場に引っ越したばかりだった。当時レインボーブリッジを車で通る時に窓を開けていると排ガスでのどが痛くなった(僕はのどが弱いのでつらかった)。それがディーゼル規制の後にのどが痛くならなくなった。しかもお台場から富士山が見えるようになった。力のある政治家ってすごいなと思った。

東京五輪招致は石原氏が最初言い出した時に誰も相手にしなかった。そんなことできるわけないと僕も思った。だが彼は風車に突っ込んでいくドンキホーテのごとく落選してもめげずに一人で挑戦し続けた。招致が決まった時の知事は猪瀬氏、開催時は小池氏で、それぞれドヤ顔だったが、ふざけるな!五輪を東京に呼んだのは慎太郎だぞ!

尖閣購入については「中国との関係が悪化した」と批判する人がいるが何が悪い?最初は「ホントに買うのか」と驚いた。だが石原氏の呼びかけに10万人、14億円超の寄付金が集まった。最後は国有化されたが日本人が初めて尖閣を「我々の国土だ」と認識したのではないか。

2012年 ワシントンの講演で「尖閣諸島は東京都が買います」と発言

慎太郎のいない日本は退屈だ

彼は日本がどうあるべきか、何をすべきかを世に問うた政治家だった。高度成長で世界のトップに立ち、慢心している日本人に常に冷や水を浴びせた。君らは本当に一流なのかと。自分で国を守ろうとしない日本人に警告を与え続けた。

もちろん新銀行東京の焦げ付きなど「失政」もあったし、失言暴言は限りなかった。安倍晋三元首相は「物議を醸す発言もしたが、批判を乗り越える強さがあった」と振り返っているが、もしかしたら時代がまだ石原さんのような政治家を許容していたのかもしれない。今ならダメだろう。

2014年政界引退会見では「最後まで人に憎まれて死にたい」と語った

だとしたら我々は彼を首相にすべきだったのではないか。意外にもリベラル派が多い自民党では多数派にはなれなかったが、米仏のような共和制の国だったら大統領になっていたかもしれない。

我々を驚かせ続けた石原慎太郎が死んだ。彼は「俺が死んだら日本は退屈になるぞ」と言っていたが、慎太郎さん、確かにあなたのいない日本は退屈です。

【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】

平井文夫
平井文夫


フジテレビ報道局上席解説委員。2020年4月から立命館大学客員教授。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て現職。

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