1月14日に公開となった、鹿児島テレビ初のドキュメンタリー映画「テレビで会えない芸人」。
物語の主人公の松元ヒロさんに話を聞いた。
なぜ、彼がテレビを去ったのか。
そこには、わたしたちメディアが向き合うべき課題があった。

自らテレビを離れ、舞台中心に活動

芸人 松元ヒロさん:
みんなで(「テレビで会えない芸人」を)スクリーンで見ると、人ごとみたい。「こんな芸人がいたんだ」と思って、「なんでテレビに出られないんだろう」って

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芸人 松元ヒロさんの舞台より
安倍首相が何て言ったか知ってますか?「わたしが国家ですから」って言ったんですよ。コカインよりも危ないですよね

テレビで会えない芸人、松元ヒロ。
鹿児島市出身、かつては「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ)で優勝するなど、テレビで活躍していた。

しかし46歳の時、自らテレビを離れ、20年以上にわたって舞台を中心に活動を続けてきた。
なぜ、松元さんはテレビを去ったのか。

芸人 松元ヒロさん:
テレビに出たくて芸人になったんですよ。最初は「news23」(TBSテレビ)など、いろんな番組が呼んでくれて。どんどん出るようになったら、「ちょっとそれは控えてください…」とか

芸人 松元ヒロさん:
(テレビ局の)だんだん重圧っていうか、忖度(そんたく)とかが見えてきて。一番最初にやっていたステージに戻ろうと思って。好きなことが言えるなと思って、テレビから距離をおくようになった

政治や社会に、笑いで物申す舞台はいつも満席。

“弱者の視点で権力を笑う”
そこには、今のメディアが見失いがちな、モノを伝える原点があった。

芸風をあと押しした立川談志の存在

普段は、物腰のやわらかい松元さん。
舞台に立つと一変して、強者を笑いのめすその芸風には、ある人のあと押しがあった。

芸人 松元ヒロさん:
立川談志が、ステージに上がってきて僕に言ってくれた言葉が、「昔の芸人は、ヒロ、お前みたいにな、ほかの人が言えないことを代わりに言ってやるやつが芸人だったんだ。お前をきょうから『芸人』と呼ぶ」と言ってくれた

芸人 松元ヒロさん:
その時に、「よしそうだ」と。そういう人たちの声を代弁して笑いにすることが、本当の芸人なんだと思って、談志さんが言っている芸人になろうと思った

芸人 松元ヒロさん:
空気を反映しているのがテレビ。ホントはテレビに出ても言う。言わないといけないと思う

芸人 松元ヒロさん:
でもそれをやらせてくれたのが、このドキュメンタリーの人たちだった。ホントは自由にモノが言えるような世の中、空気になれば、テレビが逆に(モノ言える)空気を作っていけばいいのにって思いで、このドキュメント(「テレビで会えない芸人」)を作ってくれたと思う。それがうれしい

※映画「テレビで会えない芸人」は1月14日から鹿児島で先行上映。順次、全国各地で公開される予定。

(鹿児島テレビ)

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