天皇皇后両陛下の長女・敬宮愛子さまは12月1日、20歳の誕生日を迎え成年皇族となられます。成年皇族となると公的活動などを務めることになりますが、大学2年生の愛子さまは当面、学業を優先されると思われます。5日には、成年皇族としての宮殿行事に臨み、宝冠大綬章という勲章にティアラを付けローブデコルテという正装をされた愛子さまの姿も拝見できそうです。
愛子さまのご成長を見守られてきた天皇皇后両陛下。皇后雅子さまは、体調が最も厳しい時期も含め愛子さまの成長する姿をお歌にしたためられています。
どのような思いで、雅子さまはお歌を詠まれたか振り返ります。
2001年12月1日愛子さまご誕生
愛子さまは2001年12月1日午後2時43分、皇居内にある宮内庁病院で誕生されました。
身長49.6cm、体重3102g。出産を担当した、当時の東宮御用掛で医師の堤治氏によれば、「安産だった」ということでした。
この記事の画像(33枚)2002年1月15日行われた、新春恒例の「歌会始の儀」。雅子さまは、愛子さまの姿をお歌に詠まれています。
2002年のお歌
生(あ)れいでし みどり児のいのち かがやきて 君と迎ふる 春すがすがし
前の年(2001年)の12月に愛子さまが誕生されていますので、雅子さまがご誕生から間もない中で詠まれたお歌ということになります。
無邪気な笑顔の愛子さまを陛下がやはり笑顔で見つめ、お二人を微笑む雅子さまのお姿が目に浮かびます。
2002年4月、愛子さまのご誕生に際して記者会見されたご夫妻。
雅子さまは、「無事に出産できましたときには、ほっといたしますと同時に、初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て、本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました。今でも、その光景は、はっきりと目に焼き付いております。生命の誕生・・・」
涙をためたながら話される雅子さまに陛下がそっと手差し伸べられたこの光景は、忘れられないものとなりました。
さらに会見の中で「子供が誕生しまして4カ月になりますけれども、子供の成長というのは本当に早いものだなというのが実感でございます。体も段々と大きくなってまいりますし、また、いろいろな事も日々少しずつではありますけれども、気がついてみると、新しくこんな事も出来るようになっていたんだということで、本当に日々発見の連続という感じでございます」と述べられた雅子さま。
生まれたばかりの愛子さまの姿を次々とお歌に詠まれています。
乳母車 おして歩めば みどり児は 光あふるる 空にまばたく
生後2、3カ月後に詠まれたと言います。
まばゆい思いで愛子さまを抱く
一歳近くになると次の2首を詠まれています。
子をつれて 君と歩めば 夕空に 一番星は はやかがやきぬ
あたたかく 陽のさす庭に 抱きいでて あどけなく笑ふ 吾子の重たさ
「かがやき」「光」「陽」などの言葉からも、愛子さまのお姿を、雅子さまはまばゆい思いでご覧になられていたご様子を感じることができます。
この2002年、雅子さまは愛子さまが一歳のお誕生日に際しての文書回答で、陛下との育児について、このように記されています。
「育児は、離乳食をあげること、お散歩、絵本の読み聞かせ他遊び、お風呂など、それぞれ時間を見ながら2人で協力しながらしていますが、我が家では寝かしつけだけは、どうも母親のほうが適しているようです。父親は、遊んでくれる相手と信じているようで、父親が寝かしつけようとするとどんどん目が輝いてきてしまうようなので、以後父親による寝かしつけはあきらめました」
両陛下で、楽しそうに育児をされていた姿が見えるようです。
また、雅子さまの誕生日の会見では「おおらかな性格といいますか、皇太子さまに似ましたのか、何ていうのかしら、ゆったりと、どっしりとしております」と述べられています。
子育てに積極的な陛下
その陛下は、子育てに積極的に関わって行く思いを、2003年のお誕生日会見で述べられています。
「私自身子供をお風呂に入れたり、散歩に連れて行ったり、あるいは、離乳食をあげることなどを通じて子供との一体感を強く感じます。国内でも広く母親の育児の負担の軽減についての議論がなされているようですけれども、父親もできるだけ育児に参加することは、母親の育児の負担を軽くすることのみならず、子供との触れ合いを深める上でもとても良いことだと思います」
父親が育児に関わることが少なかったこの時代に、陛下は率先して育児に関わられたのです。
2003年1月に行われた歌会始の儀でのお歌です。
2003年のお歌
いちやう並木 あゆみてであふ 町びとに みどり児は顔 ゑみてこたふる
物怖じしない、「ゆったり、どっしり」した笑顔の愛子さまのようです。
2003年12月の帯状疱疹をきっかけに療養生活に入られた雅子さま。
療養生活の中でも歌を詠まれ・・・
ただ、翌年2004年1月の歌会始の儀にも愛子さまを詠まれたお歌を寄せられています。
2004年のお歌
寝入る前 かたらひすごす ひと時の 吾子の笑顔は 幸せに満つ
〔宮内庁の解説〕
2003年秋、東宮御所を離れてのご公務からお戻りになられた妃殿下が、内親王殿下のお休み前の一時、ベッドの傍らでいろいろなお話をされた折、内親王殿下があどけなく幸せそうな笑顔をみせられたことに安堵なさり、将来にわたっての内親王殿下の幸せを願って、お詠みになられたものです。
ご体調の優れない雅子さまにとって、愛子さまの笑顔がなによりの癒やしだったのではないでしょうか。
「みどり児」から「吾子」へ
また、愛子さまの表現がこれ以降は「みどり児」から「吾子」へと完全に変わりました。3歳となられるお子さまのご成長ぶりも感じられます。
療養中と言うことで、ご公務には姿を見せるのが難しかった雅子さまですが、歌会始の儀にはこの後もお歌を寄せ続けられています。
2005年のお歌
紅葉ふかき 園生の道を 親子三人 なごみ歩めば 心癒えゆく
〔宮内庁の解説〕
妃殿下には、この一年余り、皇太子殿下よりのお心温かいお力添えと内親王殿下のお健やかなご成長に支えられて、徐々に心身のお力を回復なさってこられたことに思いを新たにされ、深い感謝のお気持ちをこめてお詠みになったお歌です
2006年のお歌
輪の中の ひとり笑へば またひとり 幼なの笑ひ ひろがりてゆく
〔宮内庁の解説〕
内親王殿下が同年代のお子様たちとお過ごしなられることを大切にお思いでいらっしゃいます。 そのようなお集り、お教室のお後、お子様たちが自然に輪になり興じるうちに、一人が笑い、また一人が笑い、次々と笑いが大きく広がっていきました。 そのお子様たちを優しく見守るお母様方にも笑いが伝わり、その場が幸せに満ちていく様子を、妃殿下がほほえましく思われて、詠まれたものです
2007年のお歌
月見たし といふ幼な子の 手をとりて 出でたる庭に 月あかくさす
〔宮内庁の解説〕
庭には月が明るく照らしており、妃殿下には内親王殿下とこの月をご一緒にご覧になりながら、つながれたお手のぬくもりに、幼い内親王殿下と過ごされる日々のお幸せを感じられてお詠みになられたお歌でございます。
2008年のお歌
ともさるる 燭の火六つ 願ひこめ 吹きて幼なの 笑みひろがれり
〔宮内庁の解説〕
愛子内親王殿下は、2007年12月に6才のお誕生日をお迎えになられることを大変楽しみになさっていらっしゃいました。このお歌は、お誕生日のお祝いの折り、ケーキに立てられた六本のろうそくの火を吹き消された内親王殿下のお顔に喜びの笑みがひろがっていく様子をお詠みになられたものです。
2009年のお歌
制服の あかきネクタイ 胸にとめ 一年生に 吾子はなりたり
〔宮内庁の解説〕
2008年の春、愛子内親王殿下は、学習院初等科にご入学になりました。 新しい制服に赤いネクタイをおとめになった内親王殿下が、小学生としての新しい一歩を踏み出されることに喜びと深い感慨をお覚えになって、皇太子妃殿下がお詠みになられたお歌です。
つねに愛子さまに寄り添い
2009年までの8年間、雅子さまは愛子さまのご成長ぶりを歌に詠み歌会始の儀で披講されてきましたが、2010年は御所内を散歩し見た風景を詠まれています。
2009年というと、愛子さまが一時小学校に通うことが難しくなられ始めた時期に当たります。
2010年、当時の皇太子妃の雅子さまはお誕生日に際し感想を文書で寄せ、その中で愛子さまについて触れられています。
「私自身、愛子が以前のように安心して学校生活を送ることができるように、皇太子殿下とご相談をしながら、親として何をしてあげられるのか考え、歩んでまいりました。」
2011年には当時の皇太子だった陛下は、誕生日に際し記者会見で次のように述べられています。
「この1年近く、親として愛子のために何をしてあげられるのかという思いで、雅子と共に考え、歩んできました。愛子は、学校で怖い思いや辛い体験をしましたが、それを乗り越えようと前向きに頑張ってきており、私たち親としても精一杯支えてあげたいと思ってここまできております。」
雅子さまは、愛子さまに付き添い、一緒に学習院初等科へと向かわれています。雅子さまはご自分の体調より愛子さまの生活を優先されていたのです。
その時の思いを詠まれたのでしょうか。2011年1月の歌会始の儀でのお歌です。
2011年のお歌
吹く風に 舞ういちやうの葉 秋の日を 表に裏に 浴びてかがやく
〔宮内庁の解説〕
このお歌は、2010年11月終わり頃、皇太子妃殿下が愛子内親王殿下の御通学になる学習院初等科にいらっしゃいました折に、 校庭に立つ一本の大きないちょうの木の黄金色の葉が、吹いてきた風に舞い、秋の日を受けてかがやきながら散りゆく美しさにお心を動かされて、お詠みになられました。
2011年9月、愛子さまは校外学習のため2泊3日で山梨県山中湖などを訪れられています。批判されましたが、雅子さまは別の車を使い付き添いのため山中湖へと向かわれました。雅子さまはお一人で同級生と参加された愛子さまに「緊急避難」できる態勢を取られたのです。
しかし、「緊急避難」はなく、愛子さまは楽しい思い出と共にお住まいへと戻られたのです。愛子さまが学校生活に戻られる大きな一歩となったのです。
初等科生活の思い出
2013年、雅子さまは、歌会始の儀に次のようなお歌を寄せられています。
2013年のお歌
十一年前 吾子の生れたる 師走の夜 立待ち月は あかく照りたり
〔宮内庁解説〕
このお歌は、内親王殿下がお生まれになられた日の夜の光景を懐か しくお思いになりながらお詠みになられたものでございます
この年の4月に小学校6年生となられる愛子さまの成長ぶりに思いをはせられています。
10月には、愛子さまの初等科最後の運動会で、雅子さまは感極まり涙を流すお姿が映像に残されています。
いろいろなことがあった愛子さまの初等科での生活を思い出されたのではないでしょうか。
また、この年の4月、ご夫妻は国王の戴冠式が行われたオランダを公式訪問されています。
このおよそ11年ぶりとなる海外公式訪問は、雅子さまのご体調ご回復に向けた大きな力となり、愛子さまのご成長と歩を合わせるように、この後、少しずつ雅子さまは公務を増やされていくのです。
成長の喜びを歌に込めて・・・
2014年に学習院中等科に進学された愛子さま。
雅子さまは2017年の歌会始の儀に、久しぶりに愛子さまのことをお歌に詠まれています。
那須の野を 親子三人(みたり)で 歩みつつ 吾子(あこ)に教(をし)ふる 秋の花の名
〔宮内庁の解説〕
御用地内の翁ガ丘を三殿下でお歩きになりながら、そこに咲く、松虫草、女郎花、梅鉢草などの秋の草花を内親王殿下にお教えになった時の喜びをお詠みになったものです。
愛子さまが中学3年生の時のことでした。
雅子さまは、体調が特に厳しかった療養生活の時期には公務で外出することも少なく、家庭に目を向けられていることが多く、お歌も自然と愛子さまのご成長ぶりを詠まれることが多かったのではないかと指摘する専門家もいます。
しかし歌の内容を拝見すると、一年一年成長されていく愛子さまの姿、その成長ぶりを喜ばれている雅子さま、陛下の姿を感じることができるのです。
2017年以降、雅子さまは愛子さまを詠まれたお歌は披露されていませんが、今年二十歳となられる愛子さまのお姿を詠んだお歌が、来年の歌会始の儀で披露されるかもしれません。
また、成年となった愛子さまもお歌を寄せられるかもしれません。
来年の歌会始の儀が今から楽しみです。
【執筆:フジテレビ 解説委員 橋本寿史】