愛知県豊橋市出身の陸上ランナー・鈴木亜由子さん。日本郵政グループ女子陸上部に所属し、2018年8月の北海道マラソンで、初マラソンにして初優勝した選手だ。

現在は、東京五輪マラソン代表に内定している。

中学生の頃から陸上トラック種目で全国大会を制していた鈴木さんだが、当時の夢は「体育の先生になること」。

そんな彼女を本格的に陸上に目覚めさせたのは、憧れの選手との出会い。当時、陸上強豪校の兵庫・須磨学園高校で活躍していた3歳年上の小林祐梨子さんだ。

それから、細い糸で確かにつながった2人の陸上ランナーは、互いの道で夢を紡いでいく。

2人の成長と心の交流を追った14年間の記録。


後編では、実業団チームでマラソンという新たな道を歩み始めた鈴木さんが、東京オリンピック候補になるまでの歩みを追う。

【前編】大きな怪我と2度の手術。東京五輪代表・鈴木亜由子の苦しい時代を支えた、もう一人のランナー

新しいチームで目指す東京オリンピック

2014年4月、新たな実業団が産声を上げた。日本郵政グループ女子陸上部だ。

鈴木亜由子さんは、その1期生として入部。前年に決定した東京オリンピックに、新たなチームで挑戦することとなった。

日本郵政グループ女子陸上部の監督に就任したのは、高橋昌彦さん。

マラソンの名将である小出義雄監督のもとでコーチを経験し、オリンピックの金メダルを陰で支えた。

小出監督も、「アメリカでQちゃんを僕と一緒に見ていた人。ノウハウは持ってますよ」と太鼓判を押す人物だ。

鈴木さんは、高校時代に大きな怪我を経験している。長い距離には耐えられないのではないかと心配する声もあったなかで、高橋監督だけは彼女の怪我を長所として捉えていた。

「怪我をしていた期間は、彼女にとって“しゃがむ時期”だったと思う。彼女は、走れない時期を我慢して耐える強さを持っているということです」

高橋監督の言葉を借りれば、「マラソンは我慢スポーツ」。

レースに勝ち抜くために、鈴木さんの「我慢して耐える強さ」はプラスに作用するだろうということだ。ただし、問題は「それを発揮するだけの覚悟ができるかどうか」だ。

一方、選手を伸ばすのは監督との出会いだというのは、小出監督だ。

「鈴木亜由子さんがこれから強くなるかどうかはわからない。高橋さんの腕にかかってる」(小出監督)

高橋監督の心は、初めから決まっていた。東京オリンピックはマラソンで目指す、と。

憧れのランナーから手渡されたオリンピックのバトン

2016年1月、鈴木さんは京都にいた。全国都道府県駅伝の愛知県チーム代表に選ばれていたのだ。

その宿舎で、鈴木さんは同じチームの中学生に囲まれた。

「鈴木亜由子」は、すでに憧れのランナーとなっていた。

思えば、10年前の鈴木さんも彼女たちと同じだった。全国都道府県駅伝で憧れのランナーである小林祐梨子さんと初対面を果たしたのだ。

その日の晩、鈴木さんの取材をするために訪問してきたのが、小林さんその人だった。

すでに現役生活を引退した小林さんは、スポーツコメンテーターなどで新たな道を歩み始めていた。

やり取りを進めるうちに、話は小林さんの経験談に。

その口からは、2009年8月に行われた世界陸上での、ある後悔が語られた。

「世界陸上に出た時に、リザルトを見たら入賞者8人中、7人がケニア人とエチオピア人だったのね。それを確認した瞬間に、『私が入るのは無理』と思ってしまって。そこから私の負の連鎖が始まってしまった」

世界陸上で結果を残せなかっただけでなく、その後も不調は続いた。それでも、小林さんは必死で練習を重ねた。

「努力もめちゃくちゃしたけど、方向性が間違っていて、全部結果に繋がってなかった」

「私は、できないっていう気持ちが入った瞬間に、できなくなってしまった。だから、亜由子ちゃんには、『絶対にできる』ってずっと思っていてほしい。こんなこと、人には絶対言わないけど、亜由子ちゃんには言いたい」

自分が成し得なかった夢を叶えるかもしれない――。

小林さんは、そんな思いを抱いていたのだ。

2008年の北京オリンピックで、出場するだけでは評価されないと強く感じた小林さんは、さらなる結果を求め、がむしゃらに練習に取り組んだ。

それは同時に故障との戦いだった。

天才ランナーも怪我には勝てず、2015年、26歳で引退を宣言。

鈴木さんは、かつての憧れのランナーが自分に夢を託していることをわかっている。

「小林さんは、高校生の時に日本新記録を出した人。その成績からいったら、小林さん的には満足した競技生活じゃなかったと思うんですよね。もっと上を目指していたと思うので。その悔しい思いを私にしてほしくないんじゃないかって」

鈴木さんは、2016年8月開催のリオデジャネイロオリンピック代表の座を掴み取った。かつての小林さんと肩を並べる、オリンピック代表だ。

しかし、オリンピック本番は苦しい戦いだった。

世界と戦うために追い求めたスピードの代償として、練習中に左足を疲労骨折。走れる状態でないまま、諦めないという気持ちだけで最後まで走りきった。

悔しさだけが残ったゴール。

しかしトラック種目での出場は、将来のマラソン挑戦に向けた可能性の一歩となった。

マラソンに向いている人は、マラソンで金メダルを狙う覚悟のある人

2017年12月。日本郵政チームの選手寮に、母になった小林さんの姿があった。東京での仕事の帰りに、赤ちゃんの顔を見せに来たのだ。

気になっていることもあった。鈴木さんの新たな挑戦について、耳にしたのだ。

高橋監督、鈴木さんとの談笑中、小林さんは「フルマラソン走るって聞いたんだけど…」と話を切り出した。

「一度走ってみたいなとは思っています」と返答する鈴木さん。

フルマラソンへの挑戦を考えたきっかけは、東京オリンピックに向けた可能性を広げるため。フルマラソンを一度走ってみて、トラック競技とどちらがいいのかを検討したいという。

「やってみないとわからないもんね」と背中を押す小林さん。「実はすごい適性があったりするかもしれないし」と励ますが、一方の高橋監督は厳しい口調だ。

「マラソンに向いているか向いていないかを決める一番大事なことって、マラソンをやりたいと覚悟しているかどうか。たぶん、今の亜由子ではまだダメ。漠然とオリンピック行くじゃ、絶対無理。金メダルを狙う気持ちが必要だよ」

小林さんは帰り際、マラソンに挑戦しようとしている鈴木さんへの思いを漏らした。

「新しいスタートだっていう気持ちで臨むと、肩の重荷が取れるのかなって感じますね。私は、ずっと昔の実績や栄光を背負っていたし、誰かのためにって常に力んで、強がっていた。でも、亜由子には過去の実績と今の自分を比べないでほしいし、誰かのためではなく自分のためだけを考えてほしい」

ときには休んでいい。ときには悩んでいい。

そんな自分を許し、受け入れることこそが本当の強さだと話す小林さん。

「亜由子はそれができる選手なので、そこを克服してほしいですね」

初めてのマラソン大会で、初めての優勝

2018年1月。愛知県の地元・豊橋に帰省した鈴木さんは、初詣に来ていた。

毎年、目標を書いてきた絵馬には「マラソン挑戦」と書かれている。

しかし、このとき鈴木さんは、まだ覚悟を決められずにいた。

高校時代、怪我で2度の手術を経験しており、オリンピックも怪我で挑戦に失敗。鈴木さんは、自分の足がマラソン練習に耐えられるのか、不安だったのだ。

そんな心にかかった雲に風を運んだのが、4歳年下の関根花観さん。

いつも一緒に練習し、鈴木さんの背中を必死に追いかけてきたチームメイトだ。

「鈴木さんは、本当に憧れの人みたいな感じ。ライバルとして認めてもらえるように、まずは自分が頑張ることかなと思います」

そう語っていた後輩が、東京オリンピックでのマラソン代表入りを目指して、マラソンデビューを果たしたのだ。

2018年3月、名古屋ウィメンズマラソンに出場した関根さんは、初マラソンとは思えない積極的な走りを見せた。鈴木さんたちチームメイトは、沿道で応援。

鈴木さんの背中を追い、鍛え続けた粘りを発揮し、関根さんは見事日本人トップでフィニッシュ。

東京オリンピック代表選考会の出場権を獲得した。

2018年7月、鈴木さんはアメリカコロラド州ボルダーで1カ月の高地トレーニングに励んでいた。

標高2600mという土地で、陸上人生で初めての40km走。1カ月で1000km以上の走り込みをする予定だった。いつ足が悲鳴をあげてもおかしくない状況だったが、覚悟を決めたランナーはいっそう強くなっていた。

「マラソンはごまかしがきかない競技だなと思いました。ここで走れなかったら、本番もきっと走れないだろうから、怪我しても仕方ないかなって。やってみてダメだったら、そのときに考えようと思いました」

そして、2018年8月に行われた北海道マラソンが、鈴木さんの初挑戦の場となった。

事前の記者会見でも、「初マラソンでかなり緊張しています」と語ったが、見事優勝。

東京オリンピックに向けたスタート地点にたどり着いたのだ。

2018年11月、ラジオの収録現場に、鈴木さんの声が響いていた。小林さんがアシスタントを務めているラジオ番組に、電話でゲスト出演していたのだ。

パーソナリティに「なぜ小林さんに憧れたんですか?」と問われ、「すべてがかっこよかった。走り方がダイナミックで、すべて見習いたいって感じでした」と答えた鈴木さん。

体育の先生になりたいと思っていた中学生は今、マラソンで金メダルを目指している。

そんな彼女に、小林さんは「わからない部分もたくさんあるけど」と前置きしつつ、せいいっぱいのエールを送る。

「いつも通りに楽しんで走るということを忘れなかったら、絶対に結果はついてくる。順調にいくことを願っています。今の亜由子の活躍はもちろん自分を超えていっているので、夢を見させてもらってる気持ちです。すごい嬉しい」

かつてのオリンピックランナーは引退した元ランナーに、かつての一大学生はオリンピックランナーに。

立場が変わっても、2人は互いに支え合い、歩んでいくのだろう。今までも、そしてこれからも。

【前編】大きな怪我と2度の手術。東京五輪代表・鈴木亜由子の苦しい時代を支えた、もう一人のランナー