被爆から76年、2021年も8月6日を迎える。

原爆資料館の被爆者の被爆講話。
2019年度は2,000件近くあったが、2020年度は約5分の1にまで減り、さらに2021年度は3カ月間で、わずか31件にとどまっている。
新型コロナウイルスの感染拡大で、被爆の継承の形も変化を余儀なくされる中、「コロナ禍でも伝え続ける」ある被爆者の想いを取材した。

8歳で被爆 トラウマに悩み続け…

「ケイコの8月6日」。

1人の被爆者の被爆体験が描かれた紙芝居「ケイコの8月6日」
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これは、1人の被爆者の被爆体験が描かれた紙芝居。
巨大な雲が浮かび上がり、その下で街全体が燃えていました。
折り重なるように倒れているけが人に近づくと、誰かがケイコの足を掴みました。

その人は、「水をください」と言っています。
ケイコが「水よー!」と言うと、けが人たちは我先にと水を飲むのでした。
そんな中、水を飲んだうちの2人が、1人は微笑みながら安心したように目を閉じていき、もう1人は水を飲んだとたん、苦しみながら亡くなってしまいました。

「お前ら、まさかひどくけがをした人に水なんかあげていないだろうな?」
「わしゃ、そんなことはしとらんけが、人に水を飲ませたら死んでしまうじゃろ」

当時、やけどをした人に水をあげてはいけないと言われていました。
しかし、まだ幼かったケイコはそれを知りませんでした。

「どうしよう。私があの人たちを殺しちゃったのかな」

ケイコは、2人の人を死なせてしまったことを誰にも言えず悩み続けました。

この紙芝居の証言者、小倉桂子さん(83)。

小倉桂子さん:
私は自分の無知のせいで人を死に追いやった、というのがまず、すごいつらかったし、ようするにトラウマがあるということ。絶対これは一生、人に言うまいと

被爆体験を語る紙芝居「ケイコの8月6日」の証言者、小倉桂子さん

8歳の時、東区牛田町の自宅で被爆した小倉さん。
25歳で結婚し、主婦になった。

17歳年上の夫・馨さんは、アメリカで生まれ、英語が堪能。
市役所に勤めて通訳もこなし、原爆資料館の館長として平和行政にも深く携わった。

その夫が、小倉さんが42歳の時、突然亡くなる。
はからずも、亡き夫に代わり、被爆者の通訳をする機会が増えていった。
そんな時…

小倉桂子さん:
「桂子、自分の話をしてくれないか。そうすると通訳の時間がない分だけ、僕たちは聞きたいことを、いくらでも聞けるから」ということで。
通訳がなければ倍、時間があるから、もっとそういう見えない苦しみを伝えられるんじゃないかなというふうに思うようになって、それをお話しするようになりました

83歳でオンラインも…英語力で世界に発信を続ける

英語で被爆体験を語る小倉さんのもとには依頼が続き、広島に来る各国の首脳にも証言した。

英語で被爆体験を語る小倉桂子さん(左) 各国の首脳にも証言した

小倉桂子さん:
突然、強烈で明るい閃光があり、真っ白になり、何も見えなくなりました

海外へも呼ばれ、核廃絶への想いを強くしていく。

小倉桂子さん:
悲しさとか、苦しみとかそういうもの。直接触れた直接の小さな話の積み重ねが、彼らを動かすものと信じています

しかし、そんな生活も新型コロナウイルスの感染拡大で一変した。
以前は、年間約2,000人に伝え、スケジュールはびっしりだった。

小倉桂子さん:
(今年は)全部キャンセルになりました

でも、小倉さんは歩みを止めなかった。

小倉桂子さん:
皆さんと会えて、とてもうれしいです

パソコンを学び、83歳にしてオンラインをマスター。
得意の英語力で、世界に発信を続けている。

小倉桂子さん:(オンライン)
世界平和を成し遂げるには、「知ること」が最初のステップになると思います。次のステップがほかの人と交流をし、一緒に物事について考えることです

小倉桂子さん:
皆さん(広島に)いらっしゃれなくて、ダメだなと思っていましたけれども、こういう方法があったのだと思って。何もしなかったら、また来ようかなという気持ちも起きないと思う。
国内もだが、世界に想いをたゆみなく続けていくということ。発信していくということは大切だと思います

そして、もうひとつ。若い世代への継承。

小倉桂子さん:
私だって、いつ何があって、もう話せない時が来るかもしれない。そういう危機感をいつも持っています

若い世代へ渡すバトン

この日会っていたのは、2021年3月まで基町高校に在籍していた大学生の横山栞央さん。
小倉さんのあの辛い経験をもとに、友人と紙芝居を製作した。

小倉桂子さん:
被爆者の話を聞く、そしゃくする、場所を切り取ってやるという。だからいろいろな教訓があると思うのね

横山栞央さん:
絵の力というのはやっぱり想像力を掻き立てるし、東京に進学するので、どれぐらい広島とのギャップがあるか。必ずあるだろうし、そういうのも体験してみて、ますます伝えていかなきゃと思うのではないか

2021年3月まで基町高校に在籍していた、大学生の横山栞央さん

小倉桂子さん:
壁があると思うよ、無関心という。そこをどう突破していくかというのは、あなたは広島から行っている代表者だから

小倉桂子さん:
使命かな

物語は2022年出版予定で、2人はラストシーンを練り直している。

小倉桂子さん:
何年かたって、オバマさんが来ましたと入れてもいいかも

横山栞央さん:
最後だから、カラフルな感じにしたくて

小倉桂子さん:
じゃあ灯籠流しがいいんじゃない。向こうに原爆ドームがあって、流れてきて

横山栞央さん:
やっぱり原爆の悲惨な話だけじゃなくて、こうやって広島も復興していきましたよとか、今の平和のありがたみみたいなのが、伝わっていけばうれしい

小倉桂子さん:
何も知らない、若い次の世代の子どもたちに伝えるのは、柔らかい感性が、豊かな想像力をもった若い人たちが、こういうのを表現してこそ意味がある

若い世代と紡ぐ物語。
小倉さんは、英語訳も加え、世界中で読んでもらいたいと考えている。

さらに、平和公園を訪れる外国人を、高校生や大学生が英語で案内するボランティアの育成にも携わっていた。

小倉桂子さん:
みんな被爆者の人は、人に言えない心の傷をもっているんですよ。ヒロシマを知ること、それが一番大切。みなさんとお会いしたのは、私がみなさんにバトンを渡すためだから、きょうお会いしたのがご縁だと思います

ユースピースボランティア 大学1年生の女性:
この42年間、ずっと活動を続けていることに、本当に強い意志を感じましたし、その意志を私たちが受け継いでいきたいとすごく本気で思いました

ユースピースボランティア 高校2年生の男子:
これから自分たちが、平和の大切さを発信していってほしいということだったので、これからの活動でその意志を示していければいいなと思う

「一生誰にも話さない」。そう決めた過去を、夫の死をきっかけに話し始めた小倉さん。
コロナ禍でも、被爆者としての歩みを止めるつもりはない。

小倉桂子さん:
被爆者の役割は見えないものを伝えることだと思うんですね。展示していないもの。それは長い間、戦ってきた心の中の傷、葛藤、悲しみ。
それを伝えるというのは、被爆者しかいないと思うんですね。それと、主人に私まだやっているのよと、またいつか会うときに「良くやったね」と言ってほしいと思ったりしますね

(テレビ新広島)