2020年春、学校から子どもたちの歓声が消えた。

すべての始まりは2月27日、当時の安倍晋三首相が“休校宣言”をしたこと。突然の“宣言”により3ヵ月に渡って学校での学びが止まった。

休校期間中の5月から取材を進め、現場で目にしたのは先の見えない感染対策と増える教師の負担だった。「まさか、こんな日が来るとは」と誰もがそんな思いを抱えていた。

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ソーシャルディスタンスに膨大な消毒作業、楽しかったはずの給食もただ黙々と食べるだけに。

教育現場では、子どものケアをするにつれて、教師の仕事量は増え、“働き方改革”どころではなくなっていく。

子どもたちにとって“大切”なことは何だろう。教師が子どもたちに出来ることは何なのか。3度目の緊急事態宣言が明けた今、コロナ禍であぶり出された、学校が本当に大切にするべきことに迫っていく。

子どもも大人も、みんな悩んだ

埼玉県新座市立野寺小学校の本格的な1学期は、入学式と共に2020年6月1日から始まった。児童数は650人(取材時)。全員が手洗いを済ませてから、それぞれの教室に行き、着席する。

闘い続けたコロナ禍の1学期。取材当時は4年1組の担任だった平澤英子先生は教壇に立った。

感染対策のため、この日は午前と午後に分かれての分散登校。クラスの半分が揃った4年1組で平澤先生が開口一番、子どもたちにこの3カ月は大人も先生も悩み、そして悩むことは悪くないことだと伝えた。

「これほど大人が悩んでいる姿を見るというのは初めてだったのではないでしょうか。おうちの人も社会全体でも。世界中の人が初めてのことで、非常に悩んでどうしたらいいんだろうって。いろいろなことを試し、うまくいかなければ、もっとどうしたらいいのだろう。そういう3カ月だったと思います。でも試してみる、うまくいかない、また試してみるというのは、学校生活で今までやってきたことと実は同じ」

しばらくは午前と午後に分かれての分散授業が続くため、平澤先生は会えない友達へのメッセージをホワイトボードに残そうと提案。「どうしたらクラスの絆を保てるか」を懸命に考えたアイデアだった。

初日の子どもたちの様子を振り返るが、先生たちの感傷も一瞬。待っていたのは児童の座席一つ一つの消毒作業やトイレの清掃。やらねばならないたくさんの仕事を後回しにしての作業だった。

そんな中でも、平澤先生が一番大切にしていたのは子どもたちとの「日記」だった。「放課後の仕事の中で私はこの日記を見るのが一番楽しい時間です」とほほ笑む。

児童が書いた日記
児童が書いた日記

嬉しかったことや楽しかったことだけでなく、悲しかったこと、不安や相談など子どもたちの喜怒哀楽が詰まっている。そして、日記には必ず返信を添えていた。

「久しぶりの給食が静かすぎて寂しかった」と書いた子には「本当にそう思います」と返し、「分散登校中の寂しさを克服した」という子には笑顔のマークで応える。

しかし、そんな大切な時間が危機に瀕していた。

教育現場で一番大事な仕事は何?

先生たちの出勤は早い人で早朝。朝6時や6時半に出勤する人もいた。まだ幼い子がいて、早く帰らざるを得ない先生の早朝出勤は当たり前だった。

毎日夜9時近くまで残業が続く平澤先生も、朝7時半には出勤している。

学校に着くと教室に向かい、そこからは息つく暇もないほど仕事が押し寄せた。集金、小さなトラブル処理、子どもたちの健康管理など仕事は山積み。

それでも、仕事をこなしながら子どもたちの顔を見て、コミュニケーションをしっかりと取っていた。

「先生は先生の中でもベテラン」「学校を支えている人」「みんなに優しくて、怒るときは叱ってくれるし、面白いし、いろいろ教えてくれる」と子どもたちからも人気者の平澤先生。

平澤先生の授業は、先生自身が考え出したアイデアで楽しい授業を心掛けてきた。子どもたち同士、互いに教え合う“ミニ先生”も学習指導要領が変わるずっと前から続けてきた。

子どもたちに任せることは時間がかかることも分かっていたが、これらが子どもたちの自主性を育むことを平澤先生は実感していた。

2020年から小学校の学習指導要領は大きく変わり、児童の好奇心を伸ばし、自ら関わらせることで問題解決能力を育もうとするアクティブラーニングの実施やそれに伴う評価基準の見直しなど、授業の準備や成績をつける時間が膨大に膨れ上がった。

一方で、働き方改革の流れで残業時間は月45時間に制限。

やらなくていいところを積極的になくすため、この学校では「学級だより」を月2回という基準にし、回数を減らしたりするなど、教師の負担になる業務を見直しているという。

しかし、その方針は大切な何かを失っていくようだと平澤先生は感じていた。

「日記」は大切なコミュニケーション

日記を読む平澤先生
日記を読む平澤先生

ある日、1日の終わりに読んだ日記には、男の子から先生へのお願いが書かれていた。その内容は、「自分の発表を友達にきちんと聞いてもらうのはとても難しいです。先生も解決に協力をお願いします」といった相談だった。

男の子にとってみんなの前では言えなかったこと。だからこそ、平澤先生はこの時間を大切にしているが、21時が近づくと、校長先生から帰宅を促される。

自宅に帰るとすでに家族は夕食を終えていた。夫や娘とも時間が合わず、一人の夕食もすっかり慣れてしまった。

平澤先生が教師になったきっかけは2人の娘が生まれたとき。育児をする中で小学校教育がいかに大切かを知ったことがきっかけだった。そして、30歳を過ぎてから初めて教壇に立った。

平澤先生の2人の娘に「先生になりたい?」と尋ねると「思わない」と即答。「楽しそうだけど大変そう。土日も学校に行くので、結局好きなんだよね」と話す。

日記に書かれていた相談事は、翌日の朝の会で切り出され、解決に至った。「話の聞き方」について話し始めた平澤先生。

「自分が発表していたら、急におしゃべりが始まって聞いてくれなくなったらどうする?想像してください」と子どもたちにイメージさせ、「ちょっとイヤな気持ちになる」「僕のときだけ聞いてくれないのかな」「ムカつく」「悪いことしたのかな」とどんな風に感じたのか発言してもらい、“自分事”と捉えてもらった。

先生が自分の相談事に向き合ってくれると、きっと書いた本人の心にはいつまでも残り続ける。

自分を守るための「働き方改革」

2年1組担任(取材当時)の石川静香先生
2年1組担任(取材当時)の石川静香先生

一方で若手の先生にとってコロナ禍での教室は「過酷」の一言だった。

取材当時2年1組担任の石川静香先生は、走り続けるような1日を送っていた。

お昼は後ろで児童たちを見守るように給食を食べる石川先生。この位置は子どもたちの視界からいなくなる場所でもあり、ふと、疲れた表情を見せる瞬間もあった。

「授業数も多いし、気を配らなきゃいけない子の数も多いので、いろいろなことがおろそかになる」と石川先生はこぼす。

「コロナがいつか終わるという気持ちで今、頑張れている?」と問うと、「本当それですよね。戻らなかったら困る。もう結構しんどいですよ。あと1カ月かな、みたいな」と話した。

石川先生は17時30分までに学校から出ると決めている。教師になる夢を胸に、故郷の山形から出てきたときには思いもしないことだった。しかし今は、それが自分を守る唯一の方法だと考えている。

周りの先生のことを聞くと「働き過ぎです。我々の仕事は、やろうと思ったらいくらでもできる。でも、自分で区切りをつけないとずっと働けるんです。夜中の12時まで。私の行動だって働き方改革の一つじゃないかなと、定時ちょっと過ぎに帰るって」と訴えた。

教師の働き方を変えるには思い切った行動を起こさないと変わらず、「本当に国レベルで変わらないと。経済的に世界も危機的な状況を迎えたにも関わらず、学校制度って変わったりとか緩まったりとかしなかったわけじゃないですか。もう無理なんじゃないかな」と諦めの言葉を口にした。

放課後には遊具の消毒をする教師たち
放課後には遊具の消毒をする教師たち

勤務時間の削減を求められる一方で、減らない仕事。そんな中、またしても新たな仕事が生まれた。

集金時に出納簿を作るという仕事。教師たちからもさまざまな意見が飛び出したが、教育委員会からの「指導」という名の決定事項で、事実上、聞き入れるしかなかった。

「子どものため」の仕事は大事だけど…

野寺小では、月に1度、早く帰ることを習慣づけるため、全員17時30分までに退勤するという独自に設けたルールがある。平澤先生も従うが、時間までに仕事が終わらず、慌てる先生の姿も。

本来の退勤時間は17時30分。しかし仕事は終わらず、家に持ち帰る先生もいた。さらに、学校が休みの日も出勤。休日出勤は最小限にするよう言われているが、児童の個人情報が詰まったパソコンなどもあり、持ち帰れない仕事も少なくない。

「休日を全部休んだら平日が苦しいかな」と話す平澤先生。休日出勤していた別の先生も「電車とバスだとノートを持ち帰れない。成績も持ち帰れないし、テストも持ち帰りたくないし。(成績表を盗まれたら)こっちが被害者でも、教師は加害者になっちゃう」と複雑な心境を明かす。

平日は少しでも子どもたちといたいと思えば思うほど、休日に仕事が押し出される。矛盾に満ちた日々に、平澤先生ほどのベテランでさえも心と体の限界を迎えていた。

仕事や授業時間も増え、コロナ禍で雑務が増え、普通の業務でさえ終わらないのだ。

「働き方改革とか、そういう意味で言うとコロナ以前の問題。コロナでいろいろ考えましたけど、根本的に変えないとダメだと思っています。昔からの書類もあって何も減らさないまま、ずっと増え続けている。例えば、『日記を減らすとかできない?』と言われるんですけど、学級通信も日記も私にとっては減らしてはいけない部分。優先順位として子どもとつながる、おとなしい子でも何か私に思ったこととかなんでも書けたりして、それは減らしたくない部分なんです」(平澤先生)

そこで、少しでも力になろうと先生のピンチを知った保護者たちが動き出した。本来の仕事に集中してほしいと放課後の消毒作業をかってでた。教師や保護者、その善意の上にしか成り立たない教育とは一体何なのか。

教師たちは「このままでいいはずがない」と改革を模索し始めた。本当に大事なことをするために減らせる仕事は何なのか。事務作業、集金、連絡網などどうしたら仕事が軽減できるか、教師として大切な仕事は何なのか話し合った。

「みんな働き過ぎ」と言っていた石川先生は、「大事にしなきゃいけないことはいっぱいある」と主張し、担任の役割は「子どもたちの変化に気付くこと」だと話した。

「働きすぎ」と言いながらも、自分の食事時間を削って、ごはんがなかなか食べられない子どもをケアするなど気配りは細やか。身長が伸びた子が授業を受けやすいよう、椅子の高さも調整していた。

さまざまな雑務が増える一方で、子どもたちの楽しみは減っていった。プールは中止され、音楽の授業も歌は歌えない。そんな中、先生たちはなんとか子どもたちに楽しい経験をさせたいと社会科見学を計画した。

校長先生の許可も下り、学校らしい日々が戻ってくるはずだったが、新座市の定例校長会議で教育委員会から告げられたのは「12月までの郊外活動は承認しない」こと。先生たちが準備していた社会科見学もできなくなった。

子どもにも先生にも「エール」を!

子どもたちに何一つ楽しみを作ってあげられなかった1学期。そこで平澤先生は、子どもたちと“ドロケイ”で遊ぶ際にwithコロナのルールを独自に作ることを提案。接触せずにどう楽しめるのか、子どもたちはアイデアを出し合った。

遊び終わって教室に戻ると早速ルールの改良に着手。どうすればもっといいルールが出来るか、子どもたちは意見を出していく。

児童が揃えてくれたペン
児童が揃えてくれたペン

いつだって子どもたちは日々、成長している。別の日も教室に置いていたペンをきれいに整頓してくれたのを見て「うれしい。誰かが揃えてくれると疲れが飛ぶというか、ありがたい」と平澤先生はほほ笑む。

9月18日、あまりに短く、長かった1学期の終業式を迎えた。

この1学期を通して平澤先生が心に残ったエピソードを語り始めた。黒板には少し開かれたドアの向こうから見える地球が描かれている。

「地球に住んでいる子どもたち、親も含めて、こんなに格差があるんだと知ったと思います。ちょっと地球を世界、他の国ってどうなっているんだろう、地球ってどうなっているんだろうと扉を開けた学期かなと思っています」

成績表を渡すのも一人一人目を見て話しながら渡す。

未曽有の災いの中、教師たちは精一杯のエールを子どもたちに送り続けた。でも、本当は先生もエールが欲しかったのかもしれない。

平澤先生が見ていたのは一学期、最後の日記。その中には「一学期、楽しかった」と書かれていた。それは子どもから先生の最大のエールだ。

(第29回FNSドキュメンタリー大賞『禍(わざわい)のなかのエール ~先生たちの緊急事態宣言~』)