合計9個で愛知と北海道が最多

夏季オリンピックの個人競技で獲得した金メダルの数を選手の出身県別で比べてみると、北海道と並び愛知が合計9個で最多(3位は8個の東京。4位は7個の青森・秋田・茨城)。

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1つ獲得した金メダリストは、1932年ロサンゼルス「100m背泳ぎ」の清川正二さん、1992年バルセロナ「柔道78kg級」の吉田秀彦さん、2004年アテネ「ハンマー投げ」の室伏広治さん。

2つ獲得したのは、2004年アテネ「柔道63kg級」と2008年北京「63kg級」の谷本歩実さん。

そして、合計4つもの金メダルを獲得したのが、名古屋市中区出身の中山彰規さんだ。種目は男子体操。1968年メキシコシティ「つり輪」「平行棒」「鉄棒」と1972年ミュンヘン「つり輪」の合計4つ。

ずっしりと重い金メダル…体操で4つの金メダルを獲得した中山彰規さん

愛知が誇る金メダリストを求め訪ねたのは、中京大学 豊田キャンパス。体操競技・個人で金メダルを4つ獲得した中山彰規さん(78)は現在、母校の中京大学で名誉教授を務めている。

見せてくれたのは、1972年のドイツ・ミュンヘンオリンピックで獲得したメダル。

中山さんの真骨頂、つり輪で獲得した金メダルだ。特別にかけさせてもらうと、見た目の重厚感そのままの重みを感じる。

披露した得意技「ナカヤマ」自身が編み出した技で4つ目の金メダル獲得

名古屋市中区出身の中山さんは、中学3年で体操を始め、数々の大会で優勝。

そして25歳の時、メキシコシティ大会でオリンピックに初出場すると、個人種目3つと団体で合計4つの金メダルを獲得した。

当時の新聞には「男子体操 日の丸ラッシュ」の文字が。体操ニッポンの黄金期、計り知れない大きなプレッシャーを感じていた中山さんは、メダルが獲れた瞬間、喜びよりも安堵したそうだ。

4年後のミュンヘンオリンピックでは主将として日本を支え、吊り輪と団体で、2つの金メダルを獲得。

この時、披露した得意技が、自ら考案したその名も「ナカヤマ」。強靭な両腕で体を支えるこの技は、今でも世界の選手が使っている。

中山彰規さん:
100回(練習を)やって、101回目の試合でも今まで通りのものがきちっと出る。集中力っていうのかな

「メダルはみんなにあげた」博物館や支援者に贈答し手元に残るのは1つだけ

2度のオリンピックの体操団体と個人で獲得したメダルは、合計10個。見せて頂いたミュンヘンオリンピック「つり輪」の金メダル以外はどこにあるのか。

中山彰規さん:
メダルは、みんなにあげました

中山さんは、オリンピックで獲得したメダル10個のうち「中京大学の助手に1つ、アキレス腱を切った時に励ましてくれた整形外科の先生に1つ…」と支援者に2つ、博物館に7つを贈呈。思い入れのある1つだけを自らで保管していた。

中山彰規さん:
みんながバックアップしてくれて(優勝)できたんだから、ものすごく感謝しています

指導者となった教え子に託す夢「次世代のメダリストを」

そんな中山さんが、現役時代から力を注いでいるのが後進の指導だ。現在では、教え子の多くが指導者の道に進んでいる。

そのうちの1人が、愛知県長久手市で体操クラブを運営する笠松茂さん(73)。ミュンヘンオリンピックで、中山さんとともに団体で金メダルを獲得。鉄棒や床など合わせて4つのメダルを獲得したメダリストだ。

笠松さんは現役を退いた後、「体操を普及させ、強い選手を育てる」とクラブを開き、後進の育成に励んでいる。

金メダリスト2人の次なる夢は、次世代のメダリストの育成だった。

笠松体操クラブの中学2年生の女の子:
(体操を始めたのは)2歳8カ月くらい。(夢は)オリンピックに出てメダルを獲ることです

同クラブの小学5年生の男の子:
(中山さんを)超せるように。オリンピックに出て絶対金メダルを獲りたい

中山彰規さん:
たゆまない努力と練習あって、初めて金メダルだと思うので。笠松君、次のオリンピックにはいい選手を

中山さんは「定めた目標を達成した時の喜びを子供たちに教えてあげてほしい」と、笠松さんに自らの夢を託している。

(東海テレビ)