6月11日に行われるキリンチャレンジカップ2021。
日本代表と親善試合を行うセルビア代表は、最新のFIFAランキングで25位と、実力は拮抗している(日本28位)。

そのセルビア代表の監督を今年3月から務めているのは、ピクシーこと、ドラガン・ストイコヴィッチだ。

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1983年にプロデビューしたストイコヴィッチは、84年にロサンゼルスオリンピックで銅メダル、90年のイタリアW杯ではベスト8という結果を残し、ベストイレブンにも選ばれた。

1994年に名古屋グランパスエイトに移籍すると、あの豪雨の中でのリフティングドリブルなど、圧倒的な存在感を見せつけながら、天皇杯優勝(95年・99年)に貢献。

提供:セルビア代表チーム
提供:セルビア代表チーム

2001年に現役を引退すると、2008年には名古屋グランパスの監督に就任し、2010年にJ1リーグ優勝を果たした。その後、中国・広州富力の監督を経て、今年からセルビア代表の監督に就任している。

そんなストイコヴィッチ監督を支えているのが、セルビア代表・喜熨斗勝史コンデショニングコーチ(56)だ。

日本人初の欧州代表チームコーチは即決

「ヨーロッパには、ドラガン・ストイコビッチ監督がナショナルチームの監督になったことで、監督が僕を選んでくれて来ることができた」

そう語る喜熨斗コーチは、欧州代表チーム初となる日本人コーチだ。

この決断に至るまでの時間は「0.01秒くらい」と笑うほど、全く葛藤は無かったという。

「僕は中国で一緒に監督とやっているときはアシスタントコーチという形でした。

ご存知の通り監督はレッドカードとかをよくもらうので、そういうときは監督代行をさせていただいたこともあったんですけど、今回ライセンスの関係などもあり、役職の名前は『コンディショニングコーチ』。

僕はそれもできるのでやっていますが、役職とかそういうことはもう関係なく、ヨーロッパのナショナルチームのコーチになるということで、さらにドラガン・ストイコビッチ監督と一緒だということで、断る理由は無いので、0.01秒か、もしくはもう全く躊躇なく。条件も聞かずに『イエス』と言いました」

ストイコヴィッチがグランパスの監督に就任したその日から、監督の所属するチームのコーチを右腕として務めてきた喜熨斗コーチ。

事前にストイコヴィッチがセルビア代表監督になる可能性を聞いていたと言うが、連絡は突然だった。

「ある日、家族と夕食をとっているときにストイコヴィッチ監督から電話がかかってきて、『(代表監督に)決まったぞ』と。『お前来るか?来るよな』みたいな感じで言われて、『はい、行きます』と。

その後家族に話して、『セルビア代表のコーチになるわ』と言ったら家族も驚いちゃって。『え!本当に行くの?』みたいな。でもすごく良いオファーだったなと思っています」

「監督を受ける条件の一つが喜熨斗コーチ」

その喜熨斗コーチについて、ストイコヴィッチ監督はどう思っているのだろうか。

「喜熨斗は私が名古屋グランパスで初めて監督をした日から一緒に働いています。初めて合った日から良いコーチであり、良い友人であり、非常に誠実に私とともに仕事をしてくれるのでとても信頼しています」

提供:セルビア代表チーム
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「セルビア代表監督の仕事をすると決めたときに、彼にコーチの要請をしたら、すぐにやると言ってくれました。
セルビア代表監督の仕事を受ける条件の一つが、彼をコーチとしてチームに入れることだった。おそらくこれからも彼とは一緒に働くことになるでしょう」

ストイコヴィッチ監督が、監督就任の条件とするほど絶大な信頼を置く喜熨斗コーチ。

1995年にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)ユースのフィジカルコーチに就任し、多くのJリーグクラブのコーチを歴任。04年には三浦知良のパーソナルコーチとして契約した他、ストイコヴィッチ監督と二人三脚で各チームを渡り歩いてきた。

提供:セルビア代表チーム
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現在、セルビア代表のコーチとしてはトレーニングのスケジュール作成や、ウォーミングアップ、基本的なトレーニングの他に、紅白戦でチームを率いて監督と戦うこともあるという。

“日本人”コーチとしての難しさ

「セルビアのコーチもいるので、セルビアのコーチと協力しあいながら、役割分担とかそういうのも監督と話ながら決めていく、という感じの仕事です。

コンディショニングという言葉で表せばいいと思うんですけど、チームのコンディショニング、フィジカルのコンディションだけじゃなくて、サッカーテクニックやタクティックに関する全てのコンディショニングというところを任されていると思っています」

提供:セルビア代表チーム
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しかしサッカーの本場・ヨーロッパで、コーチとして認めてもらうには様々な苦労があると明かす。

「ヨーロッパで働くことに関しては、まずはコミュニケーション能力が必要なので、英語がマストというところで、英語でのコミュニケーションを遜色なく取れないといけない。なので、英語の能力をしっかりキープするということが1つ。

さらに、どうしてもヨーロッパの中で日本は、良い選手はたくさん来てはいるけども、指導者はどうしても下に見られがちな部分があるんです。そこで選手たちに納得してトレーニングをしてもらうためには、相当能力、そして説得力がないといけないし、良いトレーニングを作らないといけない。

なので、ヨーロッパで勉強したこともそうだし、ピクシーと話したこともそうだし、自分のアイデアもそうだし、1番は日本で学んだことをヨーロッパの中で納得して落とし込んでいくというところが凄く苦労します」

「日本とは戦いたくない」

そんな苦労を抱えながらも、ストイコヴィッチ監督との関係性が分かるエピソードを教えてくれた。

ある日、色々なことを任せてくれる監督に対し「僕はすごく良い選手だったわけじゃないのに、どうしてそうやって僕を大事なポジションに使ってくれるんですか?」と尋ねた喜熨斗コーチ。

すると監督は「俺は選手としてお前を使っているんじゃなくて、コーチとして使っているんだ。コーチとしてお前のレベルが非常に高いから。もちろんお前はサッカー選手だったけれども、選手としてどこにあったかじゃなくて、良いコーチだったから使っている」と返してくれたそうだ。

提供:セルビア代表チーム
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今ストイコビッチ監督は、セルビアサッカー界を1つにまとめているという。

「日本にいてもストイコビッチ監督というのは有名だしビックネームなんですけど、セルビアにいると、その10倍とか20倍くらいビックネームなんですよ。

なのにセルビアに来たら、むしろ日本にいる時よりも、本当にフレンドリーにサッカー談義をしてくれるし、選手に対してもフランクに接してくれる。ただ、そうは言ってもカリスマ性はあるし、彼の一挙手一投足というのは選手を動かすことができる。

何よりも今、代表の監督になったことで、セルビアのサッカー界全体が1つになろうとしている。1つの方向に向かおうとしていることを凄く感じていて、そういった意味で、凄くパワーを持っているんだなと感じます」

喜熨斗コーチが支えるストイコビッチ監督によって1つとなったセルビア代表は、紛うことなき強敵だ。

最後に日本代表と戦うことについて聞いた。

「正直、本当にやりたくなかったです。

やっぱり国歌斉唱をするときに、逆のベンチで国歌を聞くのは心苦しいと思っています。だけどプロとしてセルビアの国歌を聞き、そして日本人として日本の国歌を聞き、そういうことが試合の中でできるというのは僕だけだと思うし。

サッカー人として働く中で、こういう体験をさせていただけるということは、非常に嬉しく思っていますので、日本と対戦するのは非常に楽しみです」

キリンチャレンジカップ2021 日本×セルビア6月11日(金)
19:00~21:24(フジテレビ系/延長の場合あり)

LIFE WITH FOOTBALL
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