目と耳の両方に障害抱え…外出には介助が必要

広島で行われる予定だった東京五輪の聖火リレー。
ある障害を抱えながらランナーに選ばれた男性がいた。コロナ禍に翻弄されながらも、夫婦で目指す「夢の舞台」。トーチに込める想いに迫る。

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大杉勝則さん、58歳。
生まれつき耳が聞こえず、目も明るさが分かる程度で、ほとんど見えない。

病気などで、目と耳の両方に障害を抱えて生きる「盲ろう者」。
全国で約2万人、県内では約400人いると推計される。

(Q.外出するときは介助が必要?)
大杉勝則さん:

そうですね。全然見えないから、1人では難しいですね

隣に寄り添うのは妻の美可さん。
手に触れて手話の形を読み取る「触手話」という方法で会話をする。

大杉美可さん:
あまり意識はしてないんですけど、怖いということがちょっとあると、あとで歩きにくくなると思うので、気を付けてはいます

毎朝、町の様子や景色の移り変わりを伝えながら、大杉さんを自宅近くの職場へ送り届ける。

平日は広島市内にある、障害者の就労支援事業所で働いている大杉さん。
手の感覚を頼りに、商品の袋詰め作業などを担当している。

約30人いる従業員のうち、「盲ろう者」は大杉さんただ1人。
触手話ができない人とは、筆談や手に文字を書いてもらうなどして、コミュニケーションをとっている。

(Q.仕事はどうですか?)
大杉勝則さん:
楽しいですよ

27歳で徐々に視力低下…職も失い、引きこもる日々

生まれた時から原因不明の障害を抱え、耳が全く聞こえなかった大杉さんだが、一般の学校に通い、高校時代には陸上部で活躍。パラリンピックへの出場も夢見ていた。

生まれた時から耳が全く聞こえなかった大杉さん

しかし、20歳を迎えた頃、目に感じた違和感。
病院で医師から告げられたのは、「網膜色素変性症」という病気だった。

大杉勝則さん:
その病気は、小さい時からまず暗いところが見えなくなる。だんだん成長するにつれて、視野が狭くなる。太陽の光がまぶしくなり、そしていつかは完全に見えなくなる病気です

大杉さんも、27歳のころから徐々に視力が低下。
職も失って引きこもりのような生活を送り、孤独な時間を過ごした。

大杉勝則さん:
どうやって生きていけばいいのか。恐怖心というよりも、生きる気力がなくなりました。絶望です

高校では陸上部で活躍していた大杉勝則さん

広島市東区にある「盲ろう者友の会」。
「盲ろう者」の支援や通訳介助員の育成などを行うNPO法人で、実は25年前に大杉さん自ら立ち上げた。
設立したきっかけは、32歳の時に目にしたあるテレビ番組だった。

大杉勝則さん:
そのテレビの内容というのは、熊本で私と同じように見えなくて聞こえない人が6人くらいと、支援者が集まって楽しそうに笑顔で過ごしている様子がテレビに映ったんです。いろんなコミュニケーションの方法とか、支援者の存在をはじめて知ったんです。自分の生きていく道はこれだと思いました

47歳で完全に視力失うも…情熱取り戻した「ブラインドマラソン」

同じ境遇の「盲ろう者」を孤立させないために…
大杉さんは理事長として、今も支援の輪を広げている。

目の病気が進行し、約10年前、47歳のときに視力を完全に失った大杉さんだが、その頃から情熱を注ぎ始めたのが「ブラインドマラソン」。
妻の美可さんとともに、新たな目標に向けて走り出した。

大杉美可さん:
本人が自由に走れるように。内側と外側の足が揃うようにして走ります。二人三脚と同じように

大杉勝則さん:
初めはちょっと心配がありましたけど、伴走者との信頼関係ができれば安心して走れます

ポケットから取り出したのは、視覚障害のランナーと伴走者とをつなぐロープ、「キズナ」とも呼ばれる。

「ブラインドマラソン」では、伴走者がランナーの目となり、声で指示を出すが、耳が聞こえない大杉さんの場合は、手で合図を出す。

上りや下り、わずかな段差など、注意を払わなければいけないことはたくさんあるが、それでも走る喜びには代えられない。

大杉勝則さん:
見えなくて聞こえないですから、暗闇の中を黙々と走ってるわけですが、私としては風を感じて走っているのは、とても気持ちがいいことです

パラリンピックに憧れ、陸上に打ち込んだ学生時代。その時以来の情熱を、「ブラインドマラソン」で取り戻した大杉さん。

2012年には広島でチームを結成し、多くの仲間と「キズナ」でつながりながら、今ではフルマラソンなどに挑戦している。

伴走仲間・東秀隆さん:
(大杉さんから)元気もらってますよ。一緒に練習やってくれとよく言われますから、こっちもサボれませんね

見えなくても聞こえなくても走れる…夫婦で目指した夢舞台

マラソンに打ち込むようになってからの大杉さんの変化を、妻の美可さんも感じ取っていた。

大杉美可さん:
楽しいことが続けてあるということは、生活の満足感というのがあるんだと思う。もしかしたら喧嘩が減ったのは、走ってるおかげかね

そんな2人が目指した「夢の舞台」。それが広島での聖火ランナーだった。

大杉勝則さん:
信じられないと思って、自分が選ばれるなんてとビックリしました。見えなくても聞こえなくても走れるということ、伴走者と一緒なら楽しく走ることができるということを、皆さんに知っていただきたい

練習終わりにランチで訪れた、行きつけの喫茶店。
顔なじみの女将さんから、思いがけないエールをもらった。

女将・末広規里美さん:
本当に名誉のあることで、こんなに身近なところに(聖火ランナーが)いらっしゃるなんてビックリしました。これは奥様です。奥様の影の力。これは誰にもマネできないと思います。頑張ってください。応援しています

大杉勝則さん:
本当に励まされますよね。聖火リレー、頑張りたいと思います

5月9日、東広島市にやってきた大杉さん。
本番を前に走るコースの下見に訪れた。カバンから取り出したのは、手作りのトーチ。

大杉勝則さん:
トーチのイメージ作りのために重さを同じくらいにして、1.2kgくらいかなと

美可さんと、本番を想定してのリハーサル。沿道に手を振る練習も忘れない。
走る距離は200メートル。時間にすればわずか数分のランニングだが、夫婦二人三脚でふみしめるその道のりは、2人にとってかけがえのないもの。

大杉勝則さん:
なんか雰囲気がわかりました。本当に楽しみで、わくわくしますよね。2人の様子を見てもらって、一緒に走ってみたいと思ってもらいたいですね

公道での聖火リレー中止も…二人三脚で大役果たす

しかし、本番を目前にして、2人の夢は断ち切られてしまった。

この2日後、新型コロナの感染拡大を受けて、公道での聖火リレーの中止が正式に発表された。

大杉勝則さん:
残念ですよね。走りたかったですけど。とにかくいろいろ状況が変わっても、最後までやり切りたいと思います。今まで頑張ってきたこと。伴走者がいれば楽しく走れること。笑顔を何とかトーチに乗せて、つないでいくことはやりたいと思っています

そして5月17日、聖火リレー当日。2人の姿は広島市の平和公園にあった。
公道での聖火リレーが中止され、平和公園での参加ランナーによるトーチキスに変更された。

大杉勝則さん:
おはようございます。やっとこの日が来ました。見えなくても聞こえなくても走れるということ、皆さんに知っていただきたい

妻の美可さんの介助を受けながら、ここまで練習を重ねてきた。
そして迎えた当日。妻とともに会場へ。

大杉勝則さん:
やっとトーチを手に触ってという瞬間が近づいてきました。火をつなげていくということに責任感を感じています

どんなときも、二人三脚で歩んできた大杉さん夫妻。

妻の美加さんの合図で、勝則さんはトーチを大きく天に掲げ、カメラに向かってポーズ。

様々な思いを胸に、無事 大役を果たした瞬間だった。

(テレビ新広島)