平成から令和にかけて変革を続けているプロ野球界。

しかし、故・野村克也監督が残した魂は変わらず、受け継がれている。

ID野球が生まれて30年が経ち、今や12球団中6球団が野村監督の教え子だ。

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ヤクルト・高津臣吾監督、阪神・矢野燿大監督、楽天・石井一久監督、日本ハム・栗山英樹監督、西武・辻発彦監督、中日・与田剛監督の6人が、直接教えを受けた。

今回は、野村監督が西武ライオンズ、ヤクルトスワローズの監督時代にともに戦った西武・辻発彦監督に野村監督とのエピソードなどを聞いた。

1年目で抱いた野村の第一印象

――野村監督との出会いについて
最初に野村さんに会ったのは、僕が1年目の西武のキャンプ。
秋山(幸二)がバッティングしているゲージの後ろでスイングしていたら、スタンドに野村さんがいて、僕の方を指さして「見えないからどけ」って言ったんです。「うわ!野村さんだ!」と思って、「すみません!」と。
1年目ということもあって「プロってこういうところなのかな」と思って、それが野村さんの第一印象でした。

そういう経緯もあって、1992年の日本シリーズで「絶対(当時野村さんが監督だった)ヤクルトには負けるもんか!」と思いました。92年に勝って、93年は負けて、それから野村さんにヤクルトに誘いを受けるという、非常にいいつながりで面白く縁があって。

40歳に近づいてきた頃にヤクルトに入団しましたが、野村さんの下でキャンプに行くと毎晩食事後に長いミーティングをして、あの歳にしてノートにメモを書いていたことは、大きな思い出の一つです。

頭でも技術でも負けないように…

――野村監督との印象に残るエピソードは?
他の選手には「ここでピッチャーが必ず決めにインコースに投げてくる」という指示があったりしたんですが、僕はなくて。それで野村監督に「なぜ、僕のときはそういう指示がないんですか?」と聞くと、「お前はそういうバッターじゃない」と。「なるほどな」と納得しました。

――自身が監督になった今、生きている野村監督の教えは?
プロ野球に入って初めて、最初で最後ですけど、3ボールから打っていったという経験がありました。ミーティングの中で、野村さんも「チャンスのときは、3ボールからヒッティングだ」と言っていましたし、僕も初めての経験だったので試してみました。タイミングよく打ってレフトフライでアウトになった。それでベンチに帰っていったら、(野村さんから)「頭で勝ったけど技術で負けた」と言われて。

今は選手たちにどんどんやらせています。打たなかったら「なんで?」と聞いたりしていますけど。
タイプによっては絶対打っちゃいけないときもあるので「待て」のサインも出しますけど、チャンスのとき、若い選手がここで伸びてほしいなというとき、今は特に打たせたりしています。結果が出なくても、出したのはこっちですから、こっちの責任ですし、技術が伴わないからということで私自身も納得しています。