沖縄戦の戦没者の遺骨が76年の時を経て故郷に

太平洋戦争末期の沖縄戦から70年余り、沖縄県糸満市で発見された沖縄戦の戦没者の遺骨の身元がDNA鑑定で判明した。

DNA鑑定での身元判明は県内で6例目だが、名前を示す遺留品などがない中で身元がわかったのは今回が初めて。

そこには遺骨収集をボランティアで続ける人たちの地道な取り組みがあった。

4月14日、北海道で行われた遺骨の返還式。

返還される遺骨
返還される遺骨
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北海道庁職員:
金岩外吉様ご遺骨でございます。どうぞ、お受け取りください

遺骨は沖縄戦に動員された北海道出身の旧日本兵、金岩外吉(かないわ そときち)さん。76年の時を経て故郷に帰った。

金岩さんの遺骨は2019年、糸満市の壕から見つかった。遺骨を見つけたのは、20年前から沖縄県内で遺骨収集を続けている青森県在住の浜田哲二さんと妻の律子さん。

2021年4月、浜田さんは今年の収集活動を終えて沖縄を離れる前に金岩さんの遺骨が見つかった糸満市にある壕を訪れていた。

浜田哲二さん:
この石の下、このあたりに横たわっていらっしゃいました

DNA鑑定によって身元が判明した金岩外吉さんの遺骨は、積み重なったゴミと土に埋もれていた。

浜田哲二さん:
とてもしっかりそろったご遺骨でした。私が最初、ごみをどけて岩をどけたときに頭がい骨が見えたんですね

県内ではこれまでに遺骨のDNA鑑定によって5人の身元が特定され、遺族の元へ帰っている。
いずれも周囲から名前の彫られた万年筆など遺品が見つかり、それをもとに遺族を見つけDNA鑑定に繋げてきた。

金岩さんの遺骨の周囲から見つかったのは軍服のボタンや地下足袋の底のみ。名もなき遺骨がどうして遺族のもとへ帰れることができたのか。

DNA鑑定に至った背景には浜田さんの地道な努力があった。

浜田哲二さん:
(遺族は)もう帰ってくることはないとあきらめてらっしゃるところもありますが、私たちが(収集を)やっていると、私たちがこうして遺骨を見つけていると皆さん俄然気持ちが変わって「お願いしたい」と「待ってるぞ浜田さん」という声は痛いほど届いています

浜田さんは遺骨収集と並行して、旧日本軍の大隊を率いた元大隊長の男性と交流し、大隊長が作成した部隊の名簿などをもとに遺族を探し、DNA鑑定を呼び掛けきた。
これに8遺族が応じ、この中で金岩さんの92歳になる妹とDNAが一致したのだ。

浜田哲二さん:
金岩さんは帰ったよ。皆さんも出てきて帰りましょう

妻 律子さん:
家族と一緒にお墓に入れるね

金岩さんの遺骨が見つかった暗い壕の中で、浜田さんと律子さんは手を合わせて沖縄を後にした。

2021年4月14日、北海道で金岩さんの遺骨が国から返される日を迎えた。これまで預かっていた遺骨の周りから見つかった遺品を返すため、浜田さんも北海道を訪れていた。

70年余り暗い壕に取り残されていた金岩さん。故郷に帰り、両親や兄弟が眠る墓でやっと一緒になることができる。

浜田さんは香炉に線香をたてた。

浜田哲二さん:
よかったですね。本当に

浜田さんとともに遺骨収集し、遺族を探してきたボランティアの後藤麻莉亜さんたちも返還の場に立ち会った。

後藤麻莉亜さん:
戦後、時間が経ってからのお返しとなってしまったので、本当だったら金岩外吉さんのことを知っているご家族の方がいたときだったら。ちょっと悔しい気持ちはあります

遺族が高齢化する中、国は2016年、戦没者の遺骨収集を「国の責任」と位置づけた。
しかし、いまだボランティアに頼っているのが実状だ。

浜田哲二さん:
遺骨はすでに発掘し終わっているのではないか。もう、それこそ数百柱しかないのではないかと言われたりしていますが、私たちが体感するところではやはり取り残されたご遺骨がまだ、たくさんあるのではないかと見ています

多くの県民が反対しているのをよそに進められるアメリカ軍普天間基地の移設に伴う名護市辺野古の埋め立て工事。
沖縄防衛局は埋め立て土砂の採取場所について本島南部を含む全県に拡大した。

今回、遺骨が遺族のもとへ帰り、浜田さんは遺骨が残る本島南部の土砂を辺野古の埋め立てに使うことについて考え直す必要があると感じている。

浜田哲二さん:
滑走路の礎にされるという気持ちは耐えがたいものがあるのではないかと感じますし、現にそういう声を聞いています。自分の父親、自分の兄弟、自分の息子、そうした方々の遺骨が軍隊、しかもアメリカ軍の基地の礎にされてしまう。これはそうしたご遺族や沖縄の方々の気持ちを考えると忍びないだけでは済まないですよね

(沖縄テレビ)

沖縄テレビ
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