のっけから己の話で恐縮だが、筆者は昭和生まれの“頑固オヤジ”である。その証拠に女房殿からはしばしば“昭和の〇ジジイ”と罵られる。

親しいアメリカの外交官に、日本の皇統に男系を維持してきたことの意義を説いた時には「この〇ったれのごりごり保守野郎!」と、笑いながらだが、こき下ろされたこともある。

そう、筆者は自分をかなり保守的な人間なのだろうと思わざるを得ないのである。

だから、たとえば共産党の指導的役割と一党独裁などまっぴらごめんだし、国民や領土・国家を守る気概も意思もない政治家が、もしも居たら、一刻も早く退場してもらいたいと考えている。

そして、もちろん、自由と民主主義、基本的人権の尊重、言論の自由、法の支配、法の下の平等など現代民主国家の大原則をとことん貴ぶものでもある。

「同性婚」認めないのは違憲

その頑固者の目に、同性婚を巡る札幌地裁の判決のニュースが昨日17日に飛び込んできた。

同性婚を認めないのは違憲という判断にテレビの前で思わず拍手をし、女房殿に何事かと訝られたのだが、実に目出度い限りである。まだ一審判決だが、筆者は特に個人の自由と法の下の平等を尊重すべきと考えるが故に本日の判決を喜ぶのである。

「同性婚」認めないのは違憲 札幌地裁の全国初の判断を受けて
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詳しくは、かなり前の事だが、拙稿「私の両親はマミーとママ=“法の下の平等”を考える」に書いた。よって、ここでは繰り返さない。ご興味のある方はご一読いただきたい。

(参考記事:私の両親はマミーとママ= “法の下の平等” を考える

LGBTと称するか、LGBT+とするか、それともLGBTQ、はたまたアメリカ国防総省のようにLGBTQI+と記すべきか、そこは悩ましいところがあるが、性的マイノリティーも法の下では平等に扱われるべきである。当然ながら、男女も平等に扱われるべきで、たとえば選択的夫婦別姓制度も早急に法制化すべきと筆者は考えている。加えれば、戸籍上の筆頭者も住民登録上の世帯主ももはや必要無いのではないかとも思う。

同世代の友人何人かに意見を訊いてみた

今や個の権利を最大限尊重すべきで、21世紀の令和という新しい時代にそぐわない法令・制度はさっさと改めていただいた方が良いのである…と、ここまで書いて、個人的意見ばかりを書き連ねたことに少々不安を覚えてきたので、同世代の友人何人かに意見を訊いてみた。そして、5人から回答を得たので順不同に紹介したい。

友人1:
「財産分与だとか税金控除だとかの法的根拠が欲しいとか、そういう面だったら同性カップルも保護しても良いと思う。同居は自由にすれば良い。ただ、子供の問題を考えると婚姻までは何とも言い難い。夫婦別姓問題はそれこそどちらでも良いと思うが、世帯主ってのは廃止してほしい。せめて代表者⁉︎ 夫の事を主人というワードも即禁止すべきかな。」

友人2:
「他人は他人、我は我なり。代理人として仕事をするなら、どちらの依頼も受けられると思う。」

友人3:
「男女の結婚と夫婦同一姓が基本だと思う。しかし、同性婚と夫婦別姓を望む人はこれからも少数派に留まるだろうから、これらを認めることが日本の家族制度を崩壊させることにはならないと思うので、個人の権利として選択的に認めても良いと思う。」

友人4:
「ゲイ・カップルやレズ・カップルを私がどう思うかは私の自由。一方、ゲイ・カップルもレズ・カップルも当人たちが望むならそうなる権利がある。私の自由と同等に尊重すべき。選択的夫婦別姓なんかは議論になること自体が馬鹿らしい。当事者二人に決める権利がある。」

友人5:
「同性婚や夫婦別姓に個人的には賛成。全く問題ないと思う。」

と、温度差こそあるが、明確な同性婚反対論は無かった。
未回答の友人も居た。彼らの中には、遠慮して反対意見を飲み込んだ者がいても不思議はないのだが、昭和生まれの高齢者達も結構さばけていると言って良いのかもしれない。

アメリカの弁護士「この判断が前例になってしまうと影響は大きいのでは」

すると、時差の関係で暫く経って、アメリカの友人からこんな旨のメールが来た。

「久しぶりに日本国憲法の英文テキストを読んだよ。この問題を伝えるこちらのニュースは短くて、詳しい法律的説明が無かったからね。」

彼は弁護士である。

「その結果疑問に思ったのは、“両性の合意のみに基づいて”という規定でマッカーサーは明らかに男女平等の実現を目指したのだと思うけれど、この“両性の合意のみに基づいて”が指し示すところは明白だよね。しかし、今回の地裁判決は、憲法の他の条文の規定を適用して、この“両性の合意のみに基づいて”という憲法の規定を違憲と判断しているのに等しい。これは司法による憲法解釈の枠を事実上超えていないか?アメリカでしばしば問題になる司法による立法行為になっていないか?という点だ。この判断が前例になってしまうと影響は大きいのではないか?」

17日 札幌地裁

そういえば、日本国憲法は連合国側が書いたのだったな…という点は脇に置いて、確かに、今回の札幌地裁判決は、憲法14条の“法の下の平等”の規定を、憲法の他の条文、すなわち、今回の場合は憲法24条に適用して、婚姻は“両性の合意のみに基づいて”という規定を否定しているに等しいように思える。これが司法による事実上の立法行為への介入、もしくは、憲法そのものへの介入になっている可能性は否定できない。そして、それが許容されるとなると三権分立の大原則にも反する恐れがある。

どうも単純に喜んでばかりはいられないようだ。

かつてカナダがそうしたように、我が国も、憲法の“両性の合意のみに基づいて”という規定を“二人の成人の合意のみに基づいて”に書き換えるのが一番すっきりするのだろうが、憲法改正はパンドラの箱を開けてしまって纏まらない恐れも強い。とすると、新たな立法措置によって、同性カップルにも婚姻と全く同等の権利を認めるのが一番現実的と思われる。

イギリスの女性の友人からは「英国では同性パートナーを持つ保守党議員も珍しくない。ロンドン警視庁の今の総監もゲイ。日本も昔は同性愛が珍しくなかったと教わった覚えがあるけれど、日本も日本自身の為に早く変わった方が良いと思う。」との意見が寄せられた。

確かに歴史小説などを読むと戦国時代を中心に武将たちのバイセクシャルの記述がしばしば出てくる。珍しくなかったらしい。

必要なのは“寛容の精神”と“平等実現への行動”ということになるのかもしれない。今回の判決をきっかけに、この問題への理解が国全体に拡がることを筆者は願うのである。

執筆:解説委員 二関吉郎