5月1日午前10時40分すぎ、皇室の未来を照らしているかのような和やかな表情で沿道に集まった人々の歓声に応え、赤坂御所から皇居へ向かわれた皇后雅子さま。

天皇皇后両陛下の結婚の儀は、26年前の1993年6月に行われた。お二人の出会いから7年が経っていた。

四半世紀貫かれたプロポーズの“約束”
アメリカのハーバード大学を卒業後、東京大学在学中に外交官試験に合格された雅子さまは、1989年にアメリカ通商代表部との会談で通訳を担当されるなど、外務省にとって将来が期待される逸材だった。
1986年、スペインのエレナ王女来日の際のパーティーで出会われたお二人。雅子さまはその後、お妃候補として注目される存在となる。

しかし、過熱する取材に対して1989年9月、留学先のロンドンで「とにかく私は、そのお妃問題というのには関係してないと思っておりますので」と述べられた。外交官として仕事を続けたいという強い意志を表明されたのだ。

これにより、お妃候補からは消えたかと思われたが、陛下は雅子さまへの一途な思いを持ち続けていたという。そして、その思いは雅子さまの心に届き、1993年1月に婚約会見が開かれた。
陛下:
千葉の鴨場でもって、雅子さんのほうに「わたくしと結婚していただけますか?」というようなことを申しました。
雅子さま:
「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」というふうにおっしゃってくださいました。

「一生全力で守る」という誓いを守り、陛下は時に自ら矢面にも立たれた。適応障害と診断され公務からも遠ざかっていた雅子さまについて、2004年5月には次のように述べられた。
陛下:
それまでの雅子のキャリアやそのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。

批判を恐れず、雅子さまを守られる陛下の姿勢は今も変わっていない。
新たに天皇・皇后両陛下として歩まれるお二人の今を、テニスを通して交流してきた元プロテニスプレーヤーの佐藤直子さんが語った。
「雅子さまにラケットをお渡しになる」テニスでの仲睦まじいお姿

両陛下と度々テニスをご一緒してきたという佐藤さんは、初めて雅子さまを紹介された日のことをはっきりと覚えていた。
佐藤直子さん:
テニスコートでお目にかかって、一番初めは「雅子です」みたいなご紹介をしていただいたと思います。

その後も交流を重ねる中で、雅子さまに対する陛下の深い愛情を感じてきたという。
佐藤直子さん:
天皇陛下のラケットバッグの中に雅子皇后のラケットが1本入っていて、いつも天皇陛下がラケットバッグを開けられて「はい」と言って雅子さまにお渡しになるんですけれど。紳士的な優しさが、そういうところでいつも見られるなと思います。

さまざまな苦難をともに乗り越え、育まれてきた夫婦の絆。
雅子さまは昨年12月、55歳のお誕生日の際に寄せられた文書で、「引き続き体調の快復に努めながら、できる限りの公務に力を尽くすことができますよう努力を続けてまいりたいと思っています」と語られている。
平成から令和へ 風間が感じた「時代と幸せ」
加藤綾子キャスター:
即位された天皇陛下と皇后・雅子さまのご様子を風間さんはどのように感じましたか?

風間晋キャスター(フジテレビ報道局解説委員):
笑顔や幸せだっていう気持ちは伝わるなと思いましたね。というのも、上皇さまが30年を振り返って幸せでしたとおっしゃるのを聞いて、私たちも「ああよかったな。いい時代だったな」と思うじゃないですか。
それと同じで、天皇陛下と雅子さまもお務めを通じて、あるいは貧困や環境問題など関心をお持ちのテーマで自己実現をすることを通じて、幸せでいていただきたい。
そういうお姿を見ると、私たちもうれしく思いますよね。その私たちの気持ちが、また両陛下に伝わっていくのではないかなと思います。
加藤綾子キャスター:
令和には、そんな幸せの時代になってほしいです。

(「Live News it!」5月1日放送分より)