歴史や研究に触れる場所である博物館が、いま全国で収蔵スペース不足という課題を抱えている。鹿児島市の県立博物館には、100年以上前のペリカンの標本が眠る。霧島市の県立埋蔵文化財センターでは、駐車場だった場所に新しい収蔵庫を作った。貴重な資料をどう残し、限られたスペースでどう守っていくのか。鹿児島の現状を取材した。
展示は6000点、収蔵庫にはその何倍も
鹿児島市の県立博物館では、奄美大島の大自然を再現したジオラマや動物の標本など、自然や歴史、文化を学ぶための様々な資料が展示されている。その数は約6000点にのぼる。
十分に多い数字だが、裏側にはその何倍もの資料が収められている。それが収蔵庫である。今回撮影が許されたエリアには、鳥の標本が所狭しと並んでいた。
ひときわ存在感を放つのが、現在の志布志市で見つかったペリカンだ。県立博物館の上舞哲也主任学芸主事は「ペリカンは1911年のもの。今から100年を超える」と話す。貴重な資料として、100年以上にわたり保存されてきた。

収蔵庫には、県内で見つかったものや県民から寄贈されたものが保管されている。展示が約6000点なのに対し、収蔵庫の資料は16万点にのぼる。私たちが見て学ぶだけでなく、大学などの研究で使われることもあるという。
収容率は8割超、全国では6割超が逼迫
この収蔵庫は17万点を収容できるように作られた。しかし、収蔵品はすでに16万点を超えている。上舞さんは「収容率は8割を超えている」と説明する。
全国の博物館の収蔵庫の使用割合を調べた調査もある。使用割合が9割以上と回答した博物館と、収蔵庫に入りきらない資料があると答えた博物館を合計すると、6割を超えている。

こうした状況の中、国は2026年3月、博物館の運営基準を改正した。資料の管理に「廃棄」も含めることを、初めて明記したのである。
この「廃棄」について、上舞さんは「可能であれば科学的な発見を捨てるようなものなので、廃棄には至らない形にしていきたい」と慎重な姿勢を示す。

駐車場だった場所に第2収蔵庫を
増え続ける資料に対し、新たな手を打つ施設もある。霧島市の県立埋蔵文化財センターだ。県内各地の遺跡から発掘された出土品を分類し、修復作業などを行っている。
代表的な資料は、縄文時代の壺型土器である。割れることなく発掘されたまれなケースだという。

一方、収蔵庫には大量の細かい資料が保管されている。ケースの中には、古代の土器である土師(はじ)器などが入っている。黒川忠広調査課長は「あまりギュウギュウにすると割れるため、緩衝材を入れ収納方法を工夫している」と話す。

出土品の多くは、土器や石器の小さな破片だ。県内には8000以上の遺跡があり、どの遺跡の何なのかを細かく分類しなければならない。
広さ2千平米の収蔵庫には4万3800箱のケースが並び、満杯に近い状態である。そこで施設は2024年、駐車場だった場所に第2収蔵庫を作った。現在は棚を順次設置していて、すべて整えば新たに約1万ケースを収容できるという。
天井の高さまでケースがびっしりと並ぶ様子について、黒川さんは「限られたスペースなので高さを求めてやっている」と語る。
小さなかけらが語る歴史
収蔵する数を減らせばいいのではないか。そう思う人もいるかもしれない。しかし、豊富な資料が歴史の証明を支えるケースは少なくない。
例えば、南九州市川辺町で出土したナイフ型の石器がある。鋭くとがった形が特徴で、旧石器時代に獲物の肉を切ったり、槍として使われたりしていたと考えられている。

ただ、たった一つの資料では、この石器が外部から持ち込まれたのか、その場所で作られたのかは判断できない。手がかりになったのが、大きな石だった。石器が出土した場所の周辺で集められた石のかけらをつなぎ合わせたものである。よく見ると、つなぎ目が分かる。

この石は、その場所で石を砕いて石器作りが行われていたことを示す手がかりになったという。一見小さなかけらでも、組み合わせることで歴史が見えてくるのだ。
未来の発見のために
黒川さんは、保管の意義をこう語る。
「ひょっとすると、改めて後の時代の人が見たらさらにもう一つ繋がったり、かけらでしか分からなかったものが、もう一度整理をすることで全体像が見える可能性がある。その時に対応できるような姿で保管することが大事」

収蔵庫が逼迫する中で、国は資料の廃棄を一つの選択肢として考え始めた。しかし、収蔵物を減らすことは、研究の手がかりが消えることにつながるかもしれない。
貴重な資料をどう残し、限られたスペースでどう守っていくのか。未来の発見につながる手がかりを守るため、担当者たちは保存のあり方を模索している。

