鳥取県中部地震で被災した人たちの生活や思いは、この10年でどのように変化したのか。TSKが当時取材した人たちを訪ねました。
作野俊介記者:
こんにちは。
牧田智子さん:
こんにちは。
牧田智子さん(88)。10年前の地震の被災者の一人です。
Q.10年前の地震について
ちょうど2時すぎだった。風呂の準備を主人がしてたらグラグラっときたもんで、中のタイルがガラガラと。
作野俊介記者:
ちなみにそのお風呂、銭湯どうなっている?
牧田智子さん:
いまもう廃業。4年前から廃業です。
牧田さんが女将を務めていた銭湯「大社湯」。
創業は明治40年、国の文化財にも登録され、当時倉吉市内では唯一の銭湯でした。
その銭湯は、10年前の地震で被災。
浴室のタイルは剥がれ落ちボイラーも故障して、一時は廃業も危ぶまれましたが倉吉市などの支援もあり、地震から約1か月で営業を再開させました。
Q.再開した時の気持ちは?
うれしい気持ちと、お客様がこれだけ待っとってくださったんだわって…。
しかし、利用者は減少。
加えて、燃料の高騰や自身が高齢もあって4年前、115年の歴史に幕を下ろしました。
風呂場の脱衣所も営業当時のまま。
棚には洗面器やシャンプーなど常連客の入浴道具がそのまま残っています。
牧田智子さん:
おいでになることは、まずないのは分かっとるけど、なんとなく…。
浴槽もかつてのまま、手つかずです。
Q.閉店した時の気持ちは?
さみしさはあったけどそんなに深刻には思わなんだし、まあ、時代の流れっていうのかな。
牧田さんの生活も様変わりしましたが、地震の怖さはいまだに頭から離れないといいます。
Q.地震を思い出すと?
ぞっとする、ぞっとする。怖い。
いつ何があっても心の準備ということだけはね。
どこから逃げて、何を持って出るか、それだけは頭に放したらいけません。
本当に災害はいつ起きるかわからんって…。
こちらは倉吉市の「倉吉八幡宮」。ここも10年前の地震で被災しました。
鳥居は崩れ落ち、灯篭は倒壊。甚大な被害が出ました。
倉吉八幡宮・会見紗緒理宮司:
私、ちょうどここに上がってきたところだったが立ってられなかったので、ここにしゃがんでこの手すりの棒を持ってました。
持っててもグワングワンしてたので。
この神社の宮司・会見紗緒理さん。
当時は一般企業で勤務していましたが、参拝中に偶然地震に遭遇したといいます。
Q.当時の宮司さんは?
私の父になります。
Q.今、どうされている?
この春に亡くなりまして…。
当時、宮司だった会見さんの父・玲郎さん。
2017年4月にTSKの取材を受けていました。
会見玲郎宮司(当時):
屋根の修理に及ばず、屋外屋内の皆さんさんの復興が一番早く進むことをお願いいたします。
地震から半年たっても鳥居や灯篭は倒れたまま…。
玲郎さんは自らの神社の再建を後回しにして、街の復興を願っていました。
倉吉八幡宮・会見紗緒理宮司:
目の前のやるべきことをやるしかないというような状態で、少しずつ少しずつという形で復興を進めていました。
その後、地元の支援もあって神社は地震から1年後に復旧。
紗緒理さんも2026年の春から宮司を引き継ぎ父・玲郎さんの思いが詰まった神社を守っています。
倉吉八幡宮・会見紗緒理宮司:
地震がなかったら分からないですね。私がここにいたかどうか…。
今やはり(地震について)伝えていかないと。
次の世代につなげたいという父の気持ちを考えて、なんとか私が継いで次の世代に渡せたらいいなと。
鳥取中部地震から10年。
あの日を教訓に、そしてそれぞれの決意を胸に前に進んでいます。
