特定危険指定暴力団・工藤会のトップだった野村悟被告が逮捕された福岡県警による『頂上作戦』から12年となった。暴力団追放運動の先頭に立ち戦っていた北九州市の北橋健治・前市長が、野村被告逮捕までの7年間を語った。(※前編)
工藤会と対峙 前北九州市長の北橋健治氏
北九州市に拠点を置く日本で唯一の特定危険指定暴力団・工藤会。そのトップ、野村悟被告(79)が逮捕された2014年9月11日の福岡県警による『頂上作戦』から12年が経った。

かつて暴追運動の先頭に立ち、野村被告率いる工藤会と対峙したのが、前北九州市長の北橋健治さん(73)だ。「事件は多発したし、犯人は捕まらないし、市民は本当に呻くように、ときには辛い日々を過ごしたわけですからね。本当に長い道程でしたね」と当時を振り返る。

北橋さんが市長になった2007年、工藤会は当時、四代目会長だった野村被告が、腹心の田上不美夫被告(70)とともに北九州の利権掌握を強硬に進めている真っ只中。

4月には北九州市門司区の建設会社で発砲事件が発生。また12月には、北九州市小倉北区で、建設会社社長が刺される事件が発生した。

街では工藤会の要求を断った事業者などが次々に襲撃されていたのだ。
標的は企業 次々と発生する凶悪事件
北九州に企業を誘致して、雇用を生み出すことを最優先課題にする北橋さんにとって野村被告率いる工藤会の存在は大きな障壁となった。
「正直言って、暴力などの問題というのをどう解決していくかが経済の活性化にとって非常に大きい課題であることは、よく承知しておったのですが、これほどまでに市民社会に挑戦状を叩きつけ、次から次へと一般市民を願った襲撃を繰り返すとは、そこまでは予測していなかったです」(北橋健治・前北九州市長)。

2008年9月には、北九州市小倉南区の『トヨタ九州小倉工場』で手りゅう弾が爆発。警察は、工藤会の犯行とみて捜査を進めたが、事件は今尚、未解決のままだ。

この事件の影響で北九州進出を予定していた企業数社が計画を白紙にしたという。

「日本全国、どこを探しても、ここまで一般住民、企業を巻き込んだ犯罪組織というのはないだろうと思いました」(北橋健治・前北九州市長)。
市長に届いた差出人不明の脅迫状
2008年時点で四代目・工藤会は構成員790人、準構成員560人、総数1350人に拡大。一大勢力を誇り、組織は最盛期を迎えた。野村被告は、その大組織の頂点に君臨した。

「野村総裁は、自分としては初めての人物との出会いですね。一体どんなふうに社会を見て、また自分自身がどう動こうとしているのか、全く想像がつかないんですね。それが怖いということに繋がります。怖い人物だなと思いましたね」(北橋健治・前北九州市長)。

2010年3月、野村被告は北九州市小倉南区の住宅街に『四代目工藤会長野会館』と名付けた組事務所を構えた。

組事務所のすぐ傍には、小学校と幼稚園があったため、住民たちは工藤会に対し、事務所の撤去を強く求めた。

工藤会はこれに反発。銃撃事件を起こし暴追運動の封じ込めを図った。さらに北橋さんには、差出人不明の脅迫状が届いた。

「これは覚悟を決めて進まなければ、また頓挫してしまう。そして暫くすると、また事件が発生するということで、暴力団がずっとこの影響力を持ち続ける社会になってしまう。『この街の将来を願うならば戦うしかない』とそのように腹を括ったわけです」(北橋健治・前北九州市長)。
市民の反対運動で組事務所撤去
2011年、北橋さんと市民たちは、工藤会に屈することなく暴追運動を続け、遂に野村被告は長野会館を撤去した。

住民の反対によって組事務所を撤去したのは、工藤会にとって初めてのことだった。工藤会の組事務所撤去という成果は、北九州の暴追運動を加速させた。

「警察の方も、限られた職員の人数が限られていますから、そのなかでやるべき仕事はいっぱいあったと思うんですけれども、そのなかでこの住民運動に立ち上がっているさまざまな人たちの警護のために、一生懸命支えて頂きました。所謂、いつ襲われるかという不安を乗り切っていくことに繋がったと思います」(北橋健治・前北九州市長)。

そして暴走する“最凶”工藤会の刃は、一般市民にも向けられることとなる―。(※後編に続く)
(テレビ西日本)

