太平洋戦争中に天草の牛深沖に沈没した軍艦『長良』をご存じでしょうか。沈没から82年がたった今も海の底に眠っているこの『長良』、先日、有人としては初めて撮影に成功しました。関係者の思いに迫ります。
天草市牛深町の沖合、水深約100メートルの海中の映像、軍艦『長良』です。
『長良』は旧日本海軍の軍艦で、太平洋戦争中の1944年8月7日、疎開者を運び終え、鹿児島から長崎に向かっていたところ、牛深沖でアメリカの潜水艦の魚雷を受け、沈没。乗組員583人のうち、235人は漁師によって救助されましたが、348人は命を落としました。
多くの犠牲者とともに冷たい海に眠る『長良』の姿を捉えたのは、これまでにこの写真1枚だけでした。
【水中探検家 伊左治 佳孝さん】
「長良の歴史は牛深地域や遺族が紡いできたものだと思っている。僕らが撮った写真や映像がさらに未来につないでいく」
今回、各地で沈船調査などをしている水中探検家の伊左治 佳孝さんらがその記憶の継承に向け、『長良』を目指すことに。
【原田光應カメラマン】
「午前8時52分、潜水調査をする船が牛深港を出航しました」
『長良』は牛深港から約10キロの沖合、1時間ほど船を走らせた先に沈んでいます。
【伊左治さん】
「一応、確認ですが、水深80メートルで合っていますか?」
「もうちょっと、95メートル」
「とりあえずやれることをやりに来ている。ここまで来たら役目を果たすだけ。来てみないと分からないこともある。結局水深95メートルある。そういうのも含めて準備しているが、来てみないと分からないから、来てみて取り組むことが大事だと改めて思う」
潜水開始から13分、ついにその姿が確認できました。全長約160メートルの『長良』は確かにそこにあったのです。砲のようなものも確認できます。
【伊左治さん】
「撮れました。探し当てました。暗くて最初はなかったが、ロープを結んで見つけられた」
伊左治さんたちが報告に向かったのは、犠牲となった乗組員たちをまつる慰霊碑。沈没から82年経った今日(こんにち)まで『長良』の歴史が語り継がれてきた背景には、この慰霊碑を建てた1人の女性の存在がありました。
1986年に88歳で亡くなった佐々木 ツルさんです。
【佐々木 ツルさん】
「誰も参ってくれない。『長良』の方がこの沖で亡くなって、自分が(供養)しないといけないと、貧乏ながら一生懸命働いた」
かん口令が敷かれた時期もあったという『長良』の沈没。それでも佐々木さんは犠牲者の供養を続けました。
その遺志を引き継ぎ、活動してきた関係者も感無量の様子です。
【天草市社会福祉協議会 福本 壮一 元常務理事】
「(佐々木さんに)『福本さん、後は頼みます』と言われた。約2カ月後、12月10日に亡くなった。大変貴重なものになる。本当にありがたい。慰霊を通して『長良』の沈没という事実を広く知ってもらうとともに、戦争の悲惨さ、平和の尊さ、日常の幸せを考える機会になればいいかな」
そして、乗組員の遺族も…。
【『長良』中原 義一郎 艦長の孫 西中 誠一郎さん】
「私は今年で61歳だが、出会いにより祖父の人生にやっと出会うことができたという気持ち。お待たせしました。遅ればせながら今からでもいろいろ勉強させてくださいと」
終戦から81年、戦争を語り継ぐ世代が少なくなってきた今、今回カメラに収められた一つ一つの記録が平和の尊さを後世に伝えます。
『長良』が沈没した8月7日には毎年、慰霊祭が行われていますが、今年は熊本地震の影響で延期となり、10月30日に行われる予定です。
