8月15日は終戦の日。子供たちの日々の暮らしや体験を書き記してきたある「文集」が発刊から100年の節目を迎え、1冊の記念誌にまとめられた。そこには家族も知らなかった体験談がつづられていた。
家族も知らなかった戦時中の体験

「おとっちゃん」昭和14年5月号(一部抜粋):
がいせんのおとっちゃん、そばまできた。「あんた、ぶじでよかったね。」おかあちゃんが、なきながらいった。
これは静岡県東部の駿東地区の子供たちが書き残してきた文集の一部。子供たちへの教育の成果として、大正15年から刊行されてきた「児童文苑」という文集だ。昭和に入ると、子供たちが戦時中に感じた思いや出来事を記した作品も多く掲載されるようになった。

「僕が大きくなつたら」昭和4年8月号(原文ママ 一部抜粋):
僕は、大きくなつたら、彼の勇ましい海軍軍人になりたい。
「軍国の乙女部隊」昭和17年2月号(原文ママ 一部抜粋):
私ども女子も男子にまけない、りっぱな軍国の乙女部隊だと、つくづく思った。
ただ、戦争が激化するなかで「児童文苑」は休刊に追い込まれる。
「児童文苑」を保管する駿東地区教育協会の古谷勲 事務局長は当時の様子を次のように語った。「生きるので精一杯だったというのもあった。例えば材料が手に入ったかどうかや、日課がどうだったか。それこそ社会の背景、世相がもろに出た」
戦後は連合軍の占領下で、出版物や印刷物の規制が課題となったものの、戦時用語の使用を避けることなどで「駿東文園」と名前を変えて復刊。以降、50万人を超える子どもたちの作品を紡ぎ続けてきた。
発刊100年目の記念誌
小山町立足柄小学校の齊藤浩二校長(60)。2026年 駿東文園が発刊から100年目を迎え、これまでの歴史を振り返り1冊の記念誌にまとめた。
この記念誌について、齊藤校長は今の時代の子供たちにとって、当時の同世代の子供たちがどんな生活を送り、どんな喜びがあり、どんな悲しみがあり、どうやって生きてきたのか、読み取れるものにしたいと考えていた。

そして、その過程の中で出会った戦時中の当時中学1年生が書き残した作品が、今でも忘れられないと振り返る。
幼い我が子のために唾液を飲ませる母
それは戦時中の過酷な状況をそのまま表していた。焼夷弾が降り注ぐ中で、多くの人たちが狭い防空壕の中に身を潜めていた。幼い子供たちの喉の渇きを潤すために、母親が自分の唾液を溜めて子供たちに分け与えていた様子を表現した作品だ。齊藤校長は「本当に胸に迫るような、それがなかったらその子たちは亡くなっていたかもしれないと考えると、本当に貴重なもの」と語った。
当時の様子を書き残していたのは中学1年生の頃に疎開先の小山町で、横浜大空襲の経験を綴った鈴木節子さん(享年69)。

息子の菅谷壽宏さん(64)と義理の妹の鈴木ミサ子さん(79)は、「自立した勝気な女性だった」と節子さんの性格を振り返る。

2人によると、父親はとび職人で、母親の節子さんはその会社を切り盛りしていたという。怒っても後腐れがないさっぱりした性格で、いつまでもうじうじしていなかったという。
ただ、節子さんから戦中の出来事について話を聞くことはほとんどなく、作品が掲載されていたことも知らなかった。
「おかあさん」昭和26年5月号(原文ママ 一部抜粋):
防空ごうへ入って、戸をしめても、けむりは少しずつ入って来る。弟は、息が苦しくなったらしく、「お水、お水」と母の背で身をもんで泣いている。母は、たまりかねて、弟をおろして、自分のつばきを弟に口うつしで上げた。本当に母の愛には感謝しなければいけない。(そうだ、大きくなったら、きっとお母ちゃんが希望しているような、りっぱな人間になって、今までのご恩返しをしよう)

体験を書き残した節子さんの義理の妹・鈴木ミサ子さんは、必死で自分の子供の命をつなごうとする節子さんの思いについて、「いまの子供たちにも読ませてあげたい。どう感じるかな」と語った。
また、節子さんの息子・菅谷壽宏さんは、「いまの時代とは全く違う時代を生きていたことが伝わると思うが、こういった人たちの頑張りによっていまの時代ができていると思う。ただではいまの環境は成り立っていないと思うので。過去に思いを馳せてもらえると良いと思う」と感想を述べた。
平和への思い
終業式の日。齊藤校長が小学生たちに伝えたのは、平和への思いです。
小山町立足柄小学校・齊藤浩二 校長:
(当時の子供たちは)戦争に自分も行くんだ。死んでも仕方ないんだ。日本のために死ぬんだと学校で教わったんです。いまも紛争があり、たくさんの人が亡くなっていることはニュースでみていると思います。せひ君たちも大きくなったら戦争のない世界、平和な世の中をつくるためにみんなの力を発揮してほしい。そのためには勉強することが大切です
当時を生きた子どもたちから、今を生きる子どもたちへ。
時代のうねりに翻弄されながらも、世代を超えて受け継がれてきた児童文苑・駿東文園の歩みは、戦争の悲惨さや平和のありようを問いかけている。

