「サーモンは看板メニューの1つ。多い日には200貫以上出る」そう語るのは、岩手県盛岡市を中心に展開する「回転鮨 清次郎」の副店長・笈口裕司(おいぐち ゆうじ)さん。
中でも人気なのが海外産と共にメニューに並ぶ、地元・三陸産のサーモン。
「地元のサーモンは店頭に届くまでの時間が早く、鮮度が抜群に良い」と自信を持つが、その一皿がお客さんに届くようになるまでには、三陸の海を襲った「異変」に向き合った漁業関係者たちの苦悩があった。
■サーモンに新たな選択肢が誕生
岩手県はかつて「サケ本州一」の水揚げ量を誇り、サケといえば秋に沿岸の定置網などで獲れる天然の「秋サケ(シロサケ)」で、塩焼きや鍋、汁物として食卓に並ぶのが長年の“当たり前”だった。
でも、ここ数年で新たな選択肢が加わり始めた。
「5〜6年ほど前から県内産の養殖サーモンを本格的に使用。現在は宮古トラウトサーモンなど時期や入荷状況に応じて県内各地のブランドを提供している」と笈口さん。
消費者が何気なく手に取る一皿には、地元の生サーモンが味わえるという新たな日常が誕生した。
■サケの減少を「価格高騰と切り身のサイズ」で実感
外食の現場で新たな地元産サーモンが脚光を浴びる一方で、消費者の家庭では「寂しさ」を味わっていた。
LINEヤフーが全国のユーザー1000人を対象に実施した意識調査では「天然サケの漁獲量が減少していること」について、実に7割近い人が「知っていた(25.6%)」または「聞いたことはある(42.6%)」と回答。
「どのような時にサケの減少を感じるか」という問いに対しては「スーパーの鮮魚コーナーで価格が高くなったと感じるとき(40.2%)」が多数を占め、「切り身のサイズが小さくなったと感じるとき(19.6%)」と日々の買い物で実感する声が上がった。
「庶民の味方、大きくて美味しい切り身が買える」という秋サケの当たり前が、家庭の食卓から消えつつある。
■「本州一のサケ」はなぜ消えたのか?迫り来る海の危機
県の沿岸では、例年9月になると秋の風物詩のサケ漁が本格的にスタートする。かつては水揚げの最盛期を迎えると、浜全体が熱気に包まれ、威勢の良い競りの声が飛び交うのが三陸の姿だった。
だが、その秋サケの水揚げ量は、2011年の東日本大震災以降、劇的に落ち込んだ。ピークの1996年度には、約7万3000tで、県の水産業の主力だったが、2025年度にはわずか42.5tと“全くと言っていいほど獲れない”という異常事態に陥った。
現場の漁業者たちを追い詰めたのは、歴史的な不漁だけではない。東日本大震災による漁業インフラの打撃、さらに近年の原油高騰に伴う燃料費問題だ。
「不漁」「震災」「原油高」という“三重苦”が、三陸の漁業経営を圧迫した。
一体、三陸の海で何が起きているのか。水産研究・教育機構の今井智(いまい さとし)主任研究員によると不漁の大きな原因は「冷たく栄養豊富な『親潮』が沿岸に入らなくなり、代わりに温かい『黒潮』が入り込んだこと」だと言う。これにより稚魚の主食となるプランクトンは激減し、海水の温度も上昇。「海へ出た直後の初期段階で大半の稚魚が生き残れない」状態と分析する。
稚魚を放流すれば数年後に親サケとなって帰ってくるという「獲る漁業」の根底が崩れてしまったのだ。
■「待つ」から「つくる」へ転換 県全体に広がるサーモン養殖革命
危機感の中から芽生えたのが「自分たちで魚を育て、市場へ出荷する」という養殖への大転換だ。
実は、西日本などでは2010年代前半からサーモンの海面養殖に取り組む地域が増えた。しかし、県は過去に養殖の価格暴落経験から踏み出せなかった。それでも近年の秋サケ激減がいよいよ致命的となり、県内各地の漁協や事業者がサーモン養殖へ参入。すると岩手の海がサーモン養殖に適していることが判明した。
今井さんは「岩手は絶妙な地理的条件を備えている。南の地域に比べて海水温が低く保てるため、11月に海のいけすへ稚魚を入れてから翌年7月まで、最長で約9ヵ月間も海で飼育することができる。西日本より飼育期間が約4ヵ月も長く、魚を大きく、高品質に育て上げることができる」と力説する。
さらに、岩手にはもう一つ「人材と技術の継承」という強みがあった。
東日本大震災で被災したサケのふ化場を復旧させたものの、サケが帰らず稼働率が低下していた。そこで、サケのふ化場をサーモン養殖用に転用、魚を扱い慣れた技術者たちがサーモンの稚魚を育てることで、円滑な事業転換が可能になった。
しかし、養殖事業が軌道に乗り始め、新たに「サーモン稚魚の確保」という課題が浮き彫りになった。
今井さんは「稚魚が全国的に足りない。海にいけすを増やすスペースがあっても、稚魚がいなければ生産量は増やせない」と強調する。
県全体として、安定して高品質な稚魚を育てる環境の確立が、今後の成長を左右する最大の鍵だ。
■水揚げ1000t突破 久慈の港を救った「琥珀サーモン」
県全体で「育てる漁業」への模索が続く中、いち早く決断を下した現場がある。県沿岸北部に位置する久慈市。
自らの手で魚を育てる道を模索し、久慈市漁協は2021年に事業者と連携して「久慈育ち琥珀サーモン」の海面養殖を正式に事業化した。最初は海上に浮かべた6基のいけすからスタート。地域の独自性と品質を高めるために、エサには特産品のヤマブドウの皮などを混ぜ、ポリフェノールを豊富に含んだ独自の飼料を与えた。すると色鮮やかで臭みのない上質な旨味を持つブランドサーモンが育った。
しかし、「沖に出て魚を網で獲る」ことに誇りを持ってきた漁師たちにとって、毎日いけすへ通い、水温や魚の様子を観察しエサを与え、成長データを記録する「育てる漁業」への転換は大きな意識改革を伴った。
さらに2025年、大きな試練が襲う。定置網が波の影響で破損し、費用が約5億円かかることから漁協は復旧を断念。これまで定置網を支えてきた10人の漁師たちが、サーモン養殖へシフトすることになった。
それでも初めての業務に戸惑いながらも向き合えたのは、自分たちが進むべき道が明確だったからだ。
サーモン養殖に全力で取り組むことが“浜を守り、支える”ことに繋がる。 日々の試行錯誤を経て、現場の戸惑いはやがて大きな自信へと変わっていった。
長年網を引いてきた10人の漁師たちは、養殖現場へ情熱を注ぎ込んだ。試行錯誤を重ねながらいけすを10基に拡大。5シーズン目を迎えた2026年、目標として掲げていた水揚げ量「1000t」を達成した。
「サーモンの水揚げが久慈市漁協全体の水揚げ金額の約3分の1を占めるまでに進展した。主力事業として港を支えている」と力強く語る久慈市漁協の井戸幸成(いど ゆきなり)さん。
「久慈育ち琥珀サーモン」は、身の締まりと上質な旨味が評価され、県内だけでなく宮城県などの大手量販店や飲食店にも販路を拡大。秋サケの不漁で活気がなかった久慈の港に、サーモンが活力を遡上させた。
■三陸の海から、日本の食卓の未来へ
三陸の水産業は、温暖化や環境変化という荒波に直面し「獲る漁業から、計画的に育てる漁業へ」大転換を果たそうとしている。
回転寿司店「清次郎」の人気メニューサーモンの一皿には、科学で海を見つめ直した専門家たちの知恵と伝統と誇りを胸に新たな漁業へ挑んだ漁師たちの熱意、地域経済を守り抜こうとする漁協の魂が詰まっている。
食卓で美味しいサーモンを味わうことで、変化に負けず未来を切り拓く三陸の海と漁師たちの挑戦を、後押しすることに繋がっている。
サケが消えた海から立ち上がった「令和の漁業革命」は、今日も三陸の海の上で、そして全国の食卓の上で“新しい日常”を育んでいる。
※この記事は岩手めんこいテレビとYahoo!ニュース・LINE NEWSによる連携企画「#マイノーマル」です。働く、学ぶ、暮らす、老いる――時代や立場で変わる「普通」を見つめ直し、人と人が理解を深める手がかりを探ります。
