熱戦が続く夏の甲子園大会は22日が決勝です。今から32年前、県勢としてその舞台に初めて立ったのが佐賀商業高校でした。あの夏の、興奮と感動を振り返ります。
1994年の夏佐賀県中が、かつてない興奮に包まれていました。
チームのエースだった峯謙介さんは。
【佐賀商優勝チーム2年生エース 峯謙介さん】
「チームの雰囲気はすごくよくて、ただ俺らは強いんだという意識はゼロに近いくらいなかったと思う」
Q目の前の試合を勝とうという気持ち?
「それだけ。一戦必勝というのがチームのテーマだったので」
夏の甲子園大会に出場した佐賀商業は開会式直後の開幕試合に勝つとその後も快進撃が続きます。
2年生エースの峯を中心に投打にバランスのとれたチームは勝負強さを発揮して準決勝まで進みます。
【リポーター】
「急きょ夜行列車に飛び乗って取材にやってまいりました。佐賀商業の決勝進出を信じています」
土壇場9回に2対2に追いついた佐賀商業は迎えた延長10回裏、2年生山口の劇的なサヨナラタイムリーで県勢初の決勝進出を決めました。
【サヨナラ打 山口法弘選手】
「謙介もあんなに頑張っているから絶対何とかしてやろうと思って最後は思いっきりバットを振ろうと思って」
【県民】
「感動しました。うれしいです」
Qあしたは決勝戦ですが?
「目が離せないのでは」
迎えた決勝。相手は鹿児島県の樟南高校。決勝初の九州対決です。
5試合を1人で投げぬいてきた先発峯。
【佐賀商優勝チーム2年生エース 峯謙介さん】
「体は動かなかった。試合前のピッチングでも当然ボールは走らないし、指先の感覚もあまりなかったので」
さすがに疲れがみられ2回に連打で3点を奪われる苦しい展開に。
しかし粘る佐賀商業は6回、相手の好投手福岡をとらえ、2番西原、3番山口の連続タイムリーなどで同点に追いつきます。
その後1点ずつ奪い合い4対4で迎えた9回表、2アウト満塁のチャンス。
バッターはキャプテンの2番西原。
【西原主将の父親】
「やった!」
Qすごい息子さんですね
「ありがとうございます」
【佐賀商優勝チーム2年生エース 峯謙介さん】
「うれしい気持ちと単純にホッとするというかこれで終わったという。気持ちの中で張り詰めたものがあったし、2年生だったので何とか3年生のためにもという思いがあったので」
【リポーター】
「全国の頂点に立った佐賀商業野球部の一行が今ふるさと佐賀の母校に帰ってきました。大歓声が沸き起こっています」
多くの佐賀商ファンが集まった県庁。
優勝の翌々日には、佐賀県がチームの快挙を称え柔道の古賀稔彦さんに次いで2例目の県民栄誉賞を授与しました。
甲子園優勝の経験で得たものについて、峯さんは今、こう振り返ります。
【佐賀商優勝チーム2年生エース 峯謙介さん】
「当時はなかなか気づけなかったがたくさんの方に支えてもらっている。応援してもらっていたんだなと改めて日々感じている。そういう人たちとの出合い。年を重ねるごとに仕事の部分だったり、プライベートの部分だったり、いろんな事でつながっていくのでそれが自分の中では財産になっていると感じる」
【鶴丸】
私は準々決勝の勝利を見届けてから、寝台特急に乗って準決勝の取材に行きました。西原主将の満塁ホームランの打球音は今も耳に残っている。
【平川】
全国に強豪校がひしめく中、なぜ優勝できたのか?
【鶴丸】
当時はミラクル・奇跡などと言われたが、奇跡が何度も続くわけがない。
当時のエース峯さんは30年たって今、改めて振り返ってみるとまず、当時の田中公士監督や西原主将が1、2年生が伸び伸びと力を発揮できるようなチーム作り・雰囲気作りをしたこと。
そして、当時のコーチ陣が特に走塁などの面で最先端の技術を持ちこみここ一番の所で得点につなげる力があったことを理由にあげていました。
当時は意識していなかったが、今思えば、勝ち残るための準備がしっかりできていたということです。
2007年には佐賀北が夏の甲子園制覇を成し遂げました。
またいつか佐賀県があの感動と喜びに包まれることを期待しています。
