8月15日は「終戦の日」です。
81年前のこの日、昭和天皇がラジオを通じて日本の敗戦を国民に告げる「玉音放送」が流れました。
この終戦の知らせをどう受け止めたのか?
山陰にも今なお、当時の自分を鮮明に記憶し続けている人たちがいます。
様々な立場で聞いた「玉音放送」、その証言から戦争を考えます。
【宮内庁公開 玉音放送の音声より】
「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」
(耐え忍ぶことが困難なことでも耐え抜いて、未来の平和を実現するために道を開いていきたい)
1945年8月15日正午。
ラジオから流れた「玉音放送」。
昭和天皇自ら、国民に太平洋戦争の終結を伝えました。
敗戦を告げる天皇の肉声。
国民はどう受け止めたのか?
翌日の新聞には、皇居前で土下座する人たちの姿の写真が掲載。
泣きながら天皇に許しを乞うたとの記述も見られ、「一億総懺悔」を象徴する記事となりました。
あまりにも有名な写真ですが、この写真は、「一定の演出」のもとで撮影された可能性が高いと指摘する専門家もいます。
中央大学・総合政策学部 岩田重則教授:
複数の新聞において使われていて、内閣の下に置かれていた情報局による情報操作が明らかにあった。天皇への懺悔、恩恵を視覚的に刷り込ませる、感覚的な情報操作という感じで捉えることができる。
当時の日本政府が戦時中から続けていた「情報統制」。
敗戦を告げる時でさえ、天皇制の維持を目的とした情報操作が図られたと指摘します。
中央大学・総合政策学部 岩田重則教授:
当時の国家権力者たち、あるいはその最高権力者、当時は昭和天皇なわけだが、権力者たちの戦争に対する責任をずらしてしまうような情報操作を、明らかにこの玉音放送をめぐって報道機関は行っている。
この玉音放送は実際、国民にどう響いたのか?
山陰各地で取材してみると、たしかに新聞記事のように「お詫び」に近い感情を持ったと語る男性がいました。
Q.新聞記事の写真を理解できる?
村上進さん:
それは理解できるね。うん、私は理解できる。むしろ申し訳ないという思いを持っているからね。
津和野町に住む村上進さん、101歳。
満州国で「終戦の日」を迎えました。
当時の満州国は日本の戦況悪化に伴い、ソ連軍が攻め込んでくる可能性が高まっていて、村上さんには重要な任務が与えられていました。
村上進さん:
初年兵30人ばかりの「決死隊」というものを組織した。爆薬が入った箱を抱えて進んでくる戦車の中に潜り込む。当然戦死する。この訓練を始めた。
自らの命を犠牲にして敵陣に突っ込む決死隊に選ばれ、「死の覚悟」を固めたなかで、8月15日を迎えました。
村上進さん:
デマ放送だと。私だけではなくそこにいる全員がそう思った。
敵国の攪乱作戦と考え、敗戦を信じることなく決死隊は訓練を続けました。
数日後、正式なルートで敗戦が伝えられると…。
村上進さん:
部隊の解散式があって軍刀、軍旗、鉄砲を積み上げたのを見たときに全員が泣いた、涙した。
Q.涙の理由は?
村上進さん:
情けない。一にも二にも情けない。私たちは決死隊を組むほど覚悟を決めていたにも関わらず何とも情けない。その当時はそうです。今思えば別の思いもあるが当時としては…。
一方で、戦地にいなかった人々は、別の受け止め方をしています。
出雲市の藤岡大拙さん、94歳。
現在、郷土の歴史研究家として出雲市のひかわ図書館で自身の戦争体験を紹介する企画展を開いています。
藤岡大拙さん:
学校の中には、ぽつぽつとお父さんが戦死したという家庭も出てきたから、この後に続かないといかんぞ、戦地に行って命を捧げるんだという観念的な考えだった。
当時13歳、「次は自分が戦地へ」という思いが芽生え始めたころ、終戦を知りました。
藤岡大拙さん:
戦争が終わって命が助かったという思いはなかったですね。さりとて無念だ、命を捧げようと思っていたのにそういう機会がなくなった、という思いもなかった。
近くに迫っていた戦争が急に遠い話のように感じ、極めて冷静に放送を聞いたと振り返ります。
同じ銃後でもまったく違う感想を抱いた人もいます。
倉吉市の中井孝子さん、92歳。
国民学校で竹槍訓練を強制されるなど近くに戦争を感じる中で玉音放送を聞きました。
中井孝子さん:
その時はあまりはっきりあの天皇陛下のお言葉もはっきりしたことはわかりませんでしたけど、これで戦争が終わったっていうことで子どもながらにホッとしたことを覚えとりますな。ほんで、その日からは電気をつけて寝られるし、ラジオも聞かれるしって言って。なんかほんと戦争が終わってホッとした気持ちになった。
山陰にも空襲の危険が迫る中での終戦に安堵を覚えたといいます。
伏して咽び泣く人々、「敗戦」という事実に悲しんだ兵士、「終戦」に安堵した少女。
立場によって受け止めが異なった玉音放送。
【宮内庁公開 玉音放送の音声より】
「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」
山陰でも様々だった当時の国民の率直な思い。
その声は今や時間という砂の中に埋もれようとしていますが、一方でその重みはさらに増しています。
日本と日本国民の大きな転換点であり、日本の戦後が始まった8月15日。
あの日から2026年8月15日で81年です。
