私は長崎に原爆が投下された1945年8月9日からちょうど14年後の同じ8月9日に長崎で生まれた。母は原爆投下時、長崎市内に住んでいたが稲佐山という山がちょうど影になって被爆せずにすんだという。

今年も8月9日の11時2分には「長崎の鐘」を聴きながら黙とうした。

式典で長崎市の鈴木史郎市長は、核兵器は「絶対悪だ」と指摘した上で、核抑止論は「極めて危うい」と批判し、日本政府に対し非核三原則の堅持と核兵器禁止条約再検討会議への参加を求めた。

非核三原則について総理は現状の説明にとどめた

これに対し高市総理はあいさつで「我が国は非核三原則を堅持しており、現実的かつ実践的な取り組みを推進している」と述べ、会見でも「政策上の方針として堅持している」とし、現状を説明するにとどまった。

この記事の画像(6枚)

三原則を見直すかどうかが焦点となる年末の安保関連3文書での扱いは「予断することは差し控える」と述べた。

また、核兵器禁止条約再検討会議への参加については「我が国の安全保障の確保と核軍縮の実質的な進展のために、何が真に効果的かという観点から検討する必要がある」と述べて慎重姿勢を示した。

安保調査会の幹部は「高市総理の政治判断だ」

非核三原則について自民党の「ニュー安保族」である大野敬太郎衆院議員は「月刊世論」9月号での私のインタビューの中で、見直しには否定的な考えを示している。

大野氏によると核の「持ち込ませず」については昔から米軍が核を日本に持ち込む場合は事前協議を行うことになっていたので、「持ち込ませない」という建前ながら一応は「持ち込める」という措置だったという。

それが民主党政権での岡田克也外務大臣(当時)の「その時の政権が判断すべきこと」という答弁で「場合によっては核を持ち込みますよということをより明確化する方針転換をした」ので「有事の際には事実上核の持ち込みはできるわけなので、そこで三原則を変更するべく政治運動を起こして政治資源を割くのは極めて非合理的」と大野氏は述べている。

これは真っ当な意見で私も賛成である。

一方で、大野氏もメンバーである自民党の安保調査会が安保3文書を巡って高市総理に提出した提言では非核三原則の見直しに言及していないのだが、調査会の幹部は「提言では言及してないが、3文書に三原則の見直しを入れるかどうかは高市総理の政治判断だ」と述べている。

著作に「泣く泣く閣議署名をした」と記した高市総理

高市総理はどのような政治決断をするのか。実は『国力研究 日本列島を、強く豊かに。』(高市早苗編著/産経新聞出版)という本に面白いことが書いてある。

2022年の岸田文雄政権における国家安全保障戦略の閣議決定直前の時点で、経済安保相だった高市総理は安保戦略の「非核三原則を堅持するとの基本方針は今後も変わらない」という箇所に抵抗していた。

米国の拡大抑止の提供を期待するのであれば「持ち込ませず」は現実的でないとして「非核三原則を堅持する」の部分を削除して欲しい旨を要請したが、担務外事項であるとして要望は叶わなかった。しかし自公両党が党議決定までした文書に閣僚が署名しないということは反党行為にも匹敵し、許容されるものではないため、「泣く泣く閣議署名をしました」と高市総理自身が書いている。

高市総理の考えが変わってなければ、安保3文書には少なくとも「非核三原則を堅持するとの基本方針は今後も変わらない」という表現は入らないだろう。その先はまさに高市総理の「政治判断」だ。

核の脅威のある世界をどう生き抜いていくのか

1945年8月9日11時2分。原爆が長崎・稲佐山の向こうでかすかにピカッと光るのを見た母は当時12歳で中学1年生。今の私の娘と同い年だった。健康被害はなく、その後の法改正で爆心地の近くに住んでいたということで被爆者手帳を交付されたが91歳で亡くなるまで元気だった。

だが稲佐山がなかったら母は12歳で被爆して亡くなり、母親になることはなく、もちろん私もこの世に存在しなかったかもしれない。

毎年8月9日に私はこの不思議な自分の運命について考える。そこには「怒り」とか「悲しみ」などの感情はない。ただ「俺、存在しなかったかもしれないのか」と思うだけだ。

鈴木長崎市長が怒りを持って「核兵器は悪だ」と言ったことは全面的に支持する。だがそれだけで我が国への核の脅威を防ぐことはできるのか。

鈴木氏の言う「核抑止論の否定」や「非核三原則の堅持」で我が国への核攻撃のリスクを減らすことはできない。そうではなく核抑止のもとで、「核の持ち込み」を現実的に認めることが私たちの「安全」にとっては必要なことではないか。

高市総理には、我々日本人が核の脅威のある世界をどう生き抜いていくのかを示してほしいと思う。

【執筆:フジテレビ客員解説委員 平井文夫】

平井文夫
平井文夫

言わねばならぬことを言う。神は細部に宿る。
フジテレビ客員解説委員。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て報道局上席解説委員に。2024年8月に退社。