【全文1から続く】
あの日から81年、被爆当時は焦土と化し、動くものは何ひとつなかったここ浦上の丘一帯も見事な復興をとげました。
一見平和な光景ですが、一方世界はどうでしょうか。
新聞やテレビでは、毎日のように争いのニュースが絶えません。
ロシアとウクライナの戦争は、いまだに終息が見えません。
こうした国々の指導者の方々には、毎日の暮らしに喘ぐ人々の姿が目に入らないのでしょうか。
幼い子が泣きながら裸足で彷徨う姿が見えないのでしょうか。
そして祖母の命と引き換えに81年間、十字架を背負って生きてきた私の記憶はただの昔話なのでしょうか。
昨年の12月、私は14日間、車椅子に頼りながらアメリカを訪れ、ロスアラモス国立研究所などを見学しました。
案内してくれたかたと対話を重ねるうちに「ここで働く者の誰一人として平和を願わない人はいない」と力強く語ってくださいました。
私は「どうか核を兵器として使わないでください」と伝えるのが精一杯でしたが、人と人が分かり合うためには対話しかないことを改めて実感しました。
また、私はパールハーバーも訪れました。
穏やかな海を見つめながら、なぜ戦争が始まり、多くの命が奪われなければならなかったのかを思い続けました。
私は平和とは命を守ること、命とは何よりも優先されるべきものだと思います。
私は残された時間を、命の限り平和を叫びつづけること、そして戦争が再び起こらないよう、祈り続けることを、一瞬にして原爆の犠牲となられた、この丘に眠る多くの御霊に誓います。
令和8年8月9日 被爆者代表 本村チヨ子
