被爆81年という歴史の転換期を迎え、私達被爆者が一人もいなくなる時代がそこまで近づいてきました。
1945年8月9日午前11時2分、私があの巨大な光と爆風を経験したのは、国民学校に入学したばかりの一年生、まだ、小さな幼い6歳の時でした。
当時、私は爆心地から約4.5km離れた福田村小江郷に住んでいました。
あの日、母と祖父、叔母の3人は田んぼに出かけており、家の土間では祖母がお昼の支度をしていました。
私はひとり、縁側で遊んでいた時、目の前に大きく異様な火の玉が炸裂しました。
その瞬間、家屋が倒壊し、硝子障子が倒れ、大音響とともに私の小さな体は庭先に叩きつけられました。
うずくまる私を見て祖母がとっさに駆け寄り、私の上に覆いかぶさりました。
何が起こったのか分からないまま祖母に横抱きにされて、防空壕に逃れました。
異様な火の玉と轟音、爆風、そしてその後の静けさが子ども心に強く焼き付いています。
しばらくして母たちが帰宅し、長崎に原子爆弾が落とされたことを知りました。
その後、海辺の小さな集落では毎日のように遺体を焼く火と形ばかりの葬儀が絶えませんでした。
とっさに私を庇い、背中に大きな傷を負った祖母は、十分な手当ても受けられず、一度も仰向けに休むことができないまま、翌年の3月に帰らぬ人となりました。
これが6歳の私の遠い、しかし鮮明な記憶です。
【全文2に続く】
