静岡県熱海市を襲った土石流災害から5年。最愛の家族を失いながら、苦しみを乗り越え生活を立て直してきた人たちがいる。あの日から5年が経ち、いまの願いとは。

最愛の妻を亡くした田中公一さん

田中公一さん(76)
田中公一さん(76)
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田中公一さん(76)は、5年前の土石流災害で最愛の妻・路子さんを亡くした。2021年7月3日、熱海市伊豆山を襲った土石流災害では、大量の土砂や流木が住宅を押し流し、伊豆山の原風景は一瞬にして奪われた。災害関連死を含めて死者は28人。それまでの日常と最愛の家族は、突然失われた。

あの日、田中さんは降りしきる雨の中、友人を心配し1人で車に乗って自宅を出た。電話で「挟まれているから助けに来て」と言われたと言う。結局、友人の家にたどり着けず、その友人もそして1人で家に残った妻・路子さんも土石流に呑まれ、命を落とした。

進まない復興に複雑な思い

妻に声をかける田中公一さん
妻に声をかける田中公一さん

「痛かったか。何もやってやれなくてごめんな」自宅があった場所で妻に声をかける田中さん。3年前、同じ伊豆山地区に新しく家を建てた。大工に頼み込んで入れてもらったというこだわりの柱には、4人の孫の身長が刻まれている。会うたびに大きくなっていく孫たち。5年という時の流れを感じる一方で、なかなか進まない街の復興に複雑な思いを抱いている。

孫の身長が刻まれた柱
孫の身長が刻まれた柱

田中さんは「復興の方向性がほとんど見えないまま、ずるする来ている」と話す。多くの知り合いが伊豆山をあとにする中、ふとしたときに路子さんを思い出すと言うが、心の大半を占めているのは「諦め」に似た感情だ。田中さんは「5年経っても変わらない状況でどこへも行く気がしなくなる」といまの正直な心情を明かした。

母親を亡くした瀬下雄史さん

母親を亡くした瀬下雄史さん(58)
母親を亡くした瀬下雄史さん(58)

「普段忘れていても時々思い出す。思い出した時がやっぱり苦しい。だから、苦しみが完全になくなったとか、薄くなったっていうことでは全然ない」

今もなお変わらない苦しさを吐露する瀬下雄二さん(58)。5年前の土石流で母・陽子さんを亡くした。二度と起こしてはいけないという思いから母の命を奪った責任を追及し、違法に造成された盛り土が崩落した原因を究明しようと、瀬下さんは遺族や被災者で作る被害者の会の会長に就任。100人を超える被害者の会の先頭に立って盛り土が造成された土地の新・旧所有者、さらには静岡県と熱海市に対し、損害賠償を求める民事訴訟に踏み切った。

記者会見での瀬下雄史さん
記者会見での瀬下雄史さん

ただ5年経った今でも裁判は続いたまま。瀬下さんがいま抱いているのは「怒り」だ。瀬下さんは「被告全員が自分の責任、罪を認めない。責任のたらい回しだ」として、「見ていて非常に腹立たしい」と感情をあらわにした。

「2度と起こしたくない」

民事裁判は2026年度末までに判決が出る見込みだが、相手側が控訴することも視野に瀬下さんは「あと5年はかかる」と覚悟している。瀬下さんは「家族を失うという辛いことはもうやっぱり2度と起こしたくない、起きてほしくない」と話す。その上で「私たちができることはやっぱり頑張っていかなきゃいけないかな」と語った。

母の家があった場所で手をあわせる瀬下さん
母の家があった場所で手をあわせる瀬下さん

毎年7月3日、自宅のある千葉県から車で3時間かけて熱海市伊豆山を訪れ、母の家があった場所で手をあわせてきた。ただ2026年で最後にするつもりだ。その理由についてこう話した。「毎年7月3日にあの場所に立つことも、結構心情的には苦しい。体重も15キロ以上落ちたし。やっぱり心労が大きいのかな。気づかないところで」

癒えることのない深い悲しみ。地域の復興も道半ば。諦めを抱えながら生きる遺族、苦しみを抱えながら闘い続ける遺族、それぞれの思いを胸に2026年も7月3日を迎えた。

テレビ静岡
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