静かな港町を襲った大火から5年…災害の記憶と受け継がれる教訓
あの夜の記憶は、今も色あせない。
2021年4月1日、松江市島根町加賀の静かな港町の一画を一夜にして焼き尽くした大火災から、2026年で5年が経った。
住宅など22棟が全焼し、山林も2000平方メートル以上が焼失した災害。
その教訓はどのように受け継がれているのか、改めて現地を訪ねた。
強風で広がった炎 「これほどの規模は初めて」消防司令長が語る大火の一夜
強い海風にあおられた炎は、住宅密集地をたちまち飲み込んだ。
当時、テレビカメラを持って現場に駆けつけた記者は「炎や煙が広がっていくのが分かる」とリポートし、「山のほうにまで消防の手が回っていない」と伝えた。
その言葉が、当時の火の勢いの強さを物語っていた。
現場で指揮を執っていた松江市消防本部の森山尚治消防司令長は「私が消防官になってから、これほどの規模の火災というのは初めての経験でした。現場に着いた当初にはいつ頃に鎮火、鎮圧できるのだろうかという目途は立たなかったというのが正直なところです」と、5年が過ぎた今もあの夜を鮮明に振り返る。
消火活動は夜通し続き、鎮火まで丸1日を要した。
犠牲者こそ出なかったものの、部分焼を含めると32棟が被災するという惨事となった。

強風と住宅密集が招いた被害拡大「全体把握ができなかった」大火で露呈した課題
なぜこれほどの被害が広がったのか…森山消防司令長の分析では「住宅密集地ということ。そしてかなりの強風が吹いていたことで消火が難しく被害が拡大した」と、二つの要因を挙げる。
さらに深刻だったのが、「全体把握の難しさ」だった。
「状況の把握を全て行うというのが難しい状況だった」と振り返るように、延焼が急拡大するなかで、現場の指揮系統が機能しにくい状況に陥った。
現場の消防士が消火にあたりながら同時に指示も出すという態勢では、被害の全体像を即座につかむことが困難だったとしている。

“消火しない消防隊”が現場統括 教訓生かし「指揮」と「消火」を分離
この苦い経験を受け、松江市消防本部は組織の体制を大きく見直した。
中心となった改革が、北消防署への「指揮隊」の常設だ。
「活動隊から指揮するのではなくて、専属の指揮隊から指示を出すので明確な活動ができるようになった」と話すのは、松江市北消防署の袖本健一消防司令長。
指揮隊とは、自らは消火活動を行わず、現場の隊員や消防車・救急車などを統括・運用することに専念する部隊だ。
“消火しない消防隊”とも呼ばれ、大規模災害時に特に重要な役割を担う。
隊員の多い大都市の消防署では一般的な存在だが、北消防署の規模での常設はあまり例がないという。
3月27日に同署で行われた消防訓練でも、重点的に確認されたのはこの指揮隊の動きだった。

大火の教訓を「見える化」へ 電子指揮板導入で情報共有強化
指揮体制の強化に加え、新たな資機材の導入も進んだ。
袖本消防司令長が示したのは「電子の指揮板」だ。
「従来だとホワイトボードに手書きで情報を残していたが、大きな災害だと情報量も増えるのでデジタル化して情報共有しやすい形に整備した」と語る。
現場で情報が錯綜しやすい大規模火災において、リアルタイムで状況を共有できる仕組みは、迅速な判断を支える重要な基盤となっている。

防災は次の世代へ 地域で取り組む「記憶の継承」
ハード面だけでなく、地域のソフト面でも教訓は着実に引き継がれている。
被災地を管轄する島根公民館の田中豊館長は「あれから防災に関する研修や講習会を繰り返しやってきていて、加賀の大火のことを思い起こすことと、何をやらなければならないのかを常に意識して少しずつ継承ができていく」と言う。
5年が経った加賀地区では、空き地が目立つものの、希望者の住宅再建や道路の拡幅工事といったハード面の整備はすでに完了している。
火災前より世帯数は減ったが、まちは確かに歩みを続けているようだ。
袖本消防司令長は、若い世代への継承を「過去にないぐらいの大きな火災だったので、そういった大規模な災害に対応する対応の仕方を考えさせてもらえた大きな火災だった。伝承して若い職員にも引き継いで続けていくというのが使命だと考えている」と語る。
あの夜の炎が残したものは、傷痕だけではない。
それは「もしもの時に街を守る力」を磨き続ける取り組みだ。
ハード、ソフト両面での絶え間ないアプローチがその重要性を増している。

