福島第一原発の廃炉は「デブリ」の取り出しが難航を極め、終わりが見えない。この工程で生じる“処理水”の海洋放出が、ようやく再生へと歩み出した地元漁師たちを直撃していた。

そして、避難後もいつか戻れる日を信じ、思い出が詰まった自宅を守り続けている男性もいる。15年が経過してもなお『見えない敵』に悩まされ続ける、フクシマの今を追った。

■廃炉作業が続く“原発”内部を取材 フクシマは今―

2011年3月11日、高さ13mの巨大津波が福島第一原発を襲い、1号機から3号機の原子炉がメルトダウンする世界最悪レベルの原発事故が起きた。

水素爆発が起きた1号機には、使用済み核燃料と未使用の燃料のあわせて392本が今も残ったままだ。

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当時は鉄骨がむき出しとなっていたが、回収作業で、放射性物質の飛散を防ぐための大型カバーの取り付けが、2026年1月にようやく完了した。

東京電力の担当者:
「がれきを慎重に取らないと、プールに落ちて燃料を壊すリスクがある。壊れると、また放射性物質が出てくるというリスクがあるので、慎重に進めている」

15年でがれきの撤去や除染作業も進み、放射線量も低下。多くの場所で、全面マスクなどの装備は必要なくなった。

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震災の爪痕が今も残る場所がある。4号機の原子炉建屋は、今も津波の爪痕がそのままだ。

今でも、「毎時51マイクロシーベルト」という、“胸部のレントゲン撮影1回あたりの数値”を示していた。

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巨大津波で電源は失われた原発。運転中だった1号機から3号機では、核燃料を冷却できなくなり、次々とメルトダウン。溶け落ちた高温の核燃料は構造物と混ざり合い「燃料デブリ」となった。その量は推定880トン。

燃料デブリの取り出しこそが廃炉作業の最大の壁だが、これまでに2回、試験的に取り出した燃料デブリの量はわずか0.88グラムで、1円玉1枚にも満たない重さだ。

東京電力の担当者:
「まだ“試験的な取り出しをした”ところですけど、こういった事故を起こした廃炉は、世界でも初めてと言われていますので、分からないところも多くありますし、安全に進めなければいけないので」

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政府と東京電力は、2051年に廃炉の作業完了を掲げているが、今もその道のりは見通せていない。

■“処理水”の海洋放出 不安つきぬ漁業関係者

福島第一原発から南におよそ30キロ、いわき市にある久之浜(ひさのはま)漁港。

名物の大きな「ヒラメ」など、“常磐もの”と呼ばれ高く評価されてきた、福島沖の魚が水揚げされている。

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久之浜は、震災で7メートルもの津波に襲われたうえ、大規模な火災が発生。住宅街など、街が焼かれる被害があった。久之浜漁港で仲買人をしている猪腰洋治(いのこし・ようじ)さんに話を聞いた。

猪腰洋治さん:
「いまは完全に払拭したよね、あの思いはみんなね。風評被害も100%払拭されたことはないけど、ほとんど大丈夫」

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“風評被害”は減っているものの、今も原発周辺の10キロ圏内で漁を自粛している。2010年に2200トン近くあった水揚げ量も、2025年は672トンと、震災前の30%ほどにしか戻っていない。

猪腰洋治さん:
「(Q.どういう状態になったら自由操業に?)自由操業ね…。問題は『海洋放出』だから」

3年前から始まった“処理水”の海洋放出。廃炉の過程で発生した汚染水からトリチウム以外の放射性物質を除去し、さらに、トリチウムの濃度を国の基準の“40分の1未満”にまで海水で薄めてから海に流している。その処理水のタンクは、今も1000基を超えている。

猪腰洋治さん:
「10年先か30年先が分からない。(Q.怖いのは海外?)一部の国がね、そういう国があるから…。いずれは払拭されると思うけど、困ったもんだよ」

中国による水産物の“輸入禁止”など、不安はつきまとう。

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福島県漁連の施設では、震災の翌年から、自主的に放射性物質の検査を実施している。

毎日およそ100種類もの魚介類のセシウム濃度を検査していて、出荷を自粛する基準値は、国が定める100ベクレルの半分の“50ベクレル”と、厳しい基準を設けている。

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出荷を自粛するケースは「今は全くでていない」というが、“見えない敵”との闘いは今も続いている。

いわき市漁業協同組合 矢吹正美組合長:
「早く本操業に進みたいと思うけど、本操業に向けて課題は山積み。福島の魚を全国・全世界に、“常磐もの”を届けたい」

■「“負の遺産”になる…」それでも“わが家”を残し続けた男性

福島第一原発から西へおよそ40キロ離れた場所にある、川俣町・山木屋地区。

この地区は「居住制限区域」などに指定され、1200人ほどが避難した。

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震災前、兼業農家をしながら家族6人で暮らしていた広野太さん(76)も、家族とともにふるさとを離れ、6年にわたって仮設住宅で生活した。

その後、広野さん夫婦は福島市に、息子たち家族も別の都市部に生活の拠点を移したが、“いつか、この山木屋の地に戻りたい”と、家を残し続けていた。

広野太さん(2020年):
「(家族の)誰かが戻ってきてくれないかと期待してるんですよ。孫。孫が戻って来て、ここでやってくれるんじゃないかなと」

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2014年、自宅前の田んぼには、廃炉の過程で出た“除染ゴミ”が積まれていた。

2013年から3年間の約束で国に田んぼを提供したが、廃棄物の中間貯蔵施設の整備が遅れ、田んぼから除染ゴミがなくなったのは、2025年だった。

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原発事故がなければ、どうしていたのだろうか。

広野太さん:
「農業とかも継続していたんだろうな。でも家を継ぐと、息子に“負の遺産”になる。どうしたらいいか、迷っているところなんですよ」

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原発事故から15年。葛藤を繰り返しながらも“当時の我が家”を残し続けている広野さん。最近、うれしい出来事があったという。

広野太さん:
「(孫が)『ここを継いでもいいか』と言って、俺もびっくりした。言われたからびっくりした。答えるのに困った。孫には、この広野家をなんとか継いでもらいたい」

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