「完全にいつもと違うなと」オウム真理教 村井秀夫元幹部刺殺事件~平成を撮影したカメラマン~

カテゴリ:国内

  • 平成7年4月23日 オウム真理教の村井元幹部の刺殺現場を撮影したカメラマンが語る
  • その日は脚立に乗って遠目から撮影することを選択した
  • 「入る時にカメラの方を見て完全にいつもと違うなと」

平成に起きた事件・事故・災害などの現場を撮影したカメラマンが自分の目で見つめ記録した現実を、後輩の35歳のカメラマンが話を聞く。シリーズ第一弾は秋本泰男 元フジテレビ報道局カメラマン。

オウム真理教 村井秀夫元幹部刺殺事件

平成7年(1995年)3月20日、都内の地下鉄でサリンがまかれる地下鉄サリン事件が発生し、死者13人、負傷者は6300人以上にのぼった。事件はオウム真理教の関与が疑われ、山梨県の教団施設などが警視庁の強制捜査を受けた。

マスコミは当時都内にあったオウム真理教の東京総本部を24時間体制で取材していた。4月に入り、教団の幹部クラスが続々と逮捕され、教団ナンバ−2の村井秀夫元幹部に注目が集まっていた。4月23日、総本部前に待機する多くのマスコミ関係者の目の前で村井元幹部は刺され、搬送先の病院で死亡した。

秋本泰男カメラマン:
あー。ここの駐車場の所にあったと思うのですが・・・


都内の車通りの多い通りを1本入った比較的閑静な場所。かつてこの場所にオウム真理教の東京総本部があった。現在、ビルは取り壊され駐車場になっている。

かつてあったオウム真理教の東京総本部

秋本泰男(59)。当時、フジテレビ報道局のカメラマンとして何度もこの場所でオウム真理教の幹部の出入りを撮影した。

秋本カメラマン:
連日100人近いマスコミが集まって待機していました。オウム真理教の幹部の出入りがあると一斉に行ってグシャグシャになっていました。体制的には24時間張りをしていたので、雨だろうがなんだろうが誰かがここにずっといました。

村井元幹部や上祐元幹部といった幹部クラスの出入りがあると、秋本カメラマンも車で追いかけ山梨県の旧上九一色村のサティアンと呼ばれる教団施設まで行ったこともあった。
報道カメラマンたちにとって、当時この場所での撮影は日常的なものになっていた。
いつものように人の出入りを撮影すると思って撮影に臨んだ、ある日。突然の出来事に事態は一変する。

平成7年4月23日

この日、フジテレビは4、5班のカメラクルーが現場に臨んでいた。
秋本カメラマンもその一人だった。

秋本カメラマンは幹部の出入りを近くからではなく、肩ぐらいの高さがある脚立に乗って遠目から撮影することを選択した。
連日の経験から、出入口に近づくと多くのカメラマンが殺到して安定した撮影ができなくなる為、遠目にいるのが一番いいと考えた。

午後8時半過ぎ、山梨県 旧上九一色村のサティアンから村井元幹部は車に乗って都内にある総本部に戻ってきた。

秋本カメラマン:
村井元幹部は横断歩道の辺りで車を降りて入口に入る前に腕を触る仕草があって。入る時にカメラの方を見て完全にいつもと違うなと。

1995年4月23日 村井元幹部が刃物男に襲われる

ーー何かが起こっているなと?

秋本カメラマン:
何でこんな変な顔をしているのだろうと。村井元幹部は無表情のところがあるので。あの顔は一生忘れないですね。


村井元幹部は1階の出入り口に向かう際、刃物を持った1人の男に襲われた。
村井元幹部は刃物で左腕と右脇腹を刺され、出入り口で苦悶の顔を浮かべながら倒れた。
直ちに病院に搬送されたが、翌4月24日の未明に死亡した。

男は犯行後、刃物を手で振り回しながら秋本カメラマンの近くまで来て刃物を捨てた。多くのカメラマンが逃げ惑う中、その一部始終を秋本カメラマンは撮影した。

ーー自分が撮影している目の前で人が亡くなったことについてどう思いますか?

秋本カメラマン:
本当に残念なことなのですが、我々がカメラを回し続けた中で、その映像を見て犯人がどうやって村井氏に接近し、どういう状況で刺されたかというものが映っていると、ここも大事なところです。
犯行が分かれば我々だって中に入って助けたいという気持ちはあります。カメラマンという前に人間ですから。
一つの人命を助けるというのは当然のことだと思っています。
それこそ、人の命が奪われる前に何か対処ができなかったのかという後悔は今でも残っています。


秋本カメラマンは取材で何度も通ったこの場所を訪れる度に複雑な思いに駆られる。
テレビ番組でオウム事件を振り返る企画を見る度にあの建物はどうなったのだろうと気になってはいたのだが、特別な感慨はない。
「閑静な住宅街に日常が戻って良かったという思いしかない」と秋本カメラマンは言う。

<取材後記>

私は35歳のカメラマンだ。
平成の「事件」を見つめなおしたいと考えたとき、事件についての「有識者」ではなく、現場に立って見つめた人「カメラクルー」に話を聞きたいと考えた。
当時の映像を繰り返し見た。
「凶悪事件は、ごく普通の日常の延長上に、予告もなく起きる」ことを痛感した。

我々カメラマンは、何かが起きる可能性がある現場に向かう。何かが起きれば撮影に集中するが、「我々の前で、新たに別の事件は絶対に起こさせない」断固とした意志で現場に臨むことを自分自身に誓った。

平成7年、地下鉄サリン事件が発生し、国民はその関与が疑われたオウム真理教という得体の知れない団体に不安を感じていた。その実態を暴こうと連日連夜取材するマスコミの目の前で村井元幹部の刺殺事件が起きた。
犯人が連日の報道を見ていて、現場に行けば混乱に乗じて村井元幹部ら教団関係者を襲うことは容易だと考えた可能性がある。
マスコミや警察にとっては「疑惑のある人物」に目を奪われる中で、スキを突かれた形だ。
20年以上前のこの事件を振り返ることが、疑惑に直接対峙する我々メディアの取材のあり方、考える契機になればと考える。

取材・撮影・編集・執筆:石黒雄太(取材撮影部)
撮影:三浦修(取材撮影部)

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