旧国鉄時代に”C12型蒸気機関車”が走った内子線

真っ黒な車体の機関車がモクモクと煙を上げ疾走する。昭和45年、1970年の映像だ。『C12型蒸気機関車』が走るのは、国鉄時代の「旧内子線」今はもう存在しない路線。

「旧内子線」は1920年に開通した私鉄の「愛媛鉄道」を前身とする路線で、大洲市の「五郎駅」から「内子駅」の間約10キロを結んでいました。住民の貴重な足としてはもちろん地域産業の物流も支えた旧内子線でしたが、1986年に予讃線の「山回り」が開通したことに伴い、ルートが変更され、一部が廃線となった。

JR内子駅前には蒸気機関車を展示

内木敦也キャスター:
「JR内子駅です。ここには今も蒸気機関車が当時の姿のまま残されているんです。重厚感がある車体、ロマンを感じますね。今回はこの蒸気機関車が走っていた『旧内子線』に詳しい方にお話を伺います」

内子自治センターの髙森裕樹さん。旧内子線の資料を収集し、保存活動に取り組んでいる。

内木敦也キャスター:
「旧内子線、どんな路線だったのか?」

髙森裕樹さん:
「内子町ご覧の通り山があって木材が集積するということもあって、木材と木材を加工した木炭を主に出荷していた」

今も残る「旧内子線」の名残を高森さんと一緒に探した。

内子自治センターの髙森裕樹さん
内子自治センターの髙森裕樹さん
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旧内子駅の線路跡は道路に転用

こちらが旧内子駅の写真。駅舎内の写真を見てみると…

髙森裕樹さん:
「この家がまだ現存していて奥の家も現存している。角度的にはこのあたり。この位置に改札があった、その先にレールがあった」

かつてホームがあった場所は歩道になっていて現在、車道になっている部分を鉄道が走っていたことがわかる。廃線になった後、線路が敷かれていた部分の多くはそのまま道路に転用されていて、旧内子線の軌道を今も感じることができる。

旧内子駅の写真を見ると改札の場所もわかる
旧内子駅の写真を見ると改札の場所もわかる

当時の鉄道レールが残るノスタルジックな風景

続いて訪れたのは五十崎エリア。
鬱蒼とした森の中で見つけたのは…。

内木アナウンサー:
「レールだ。これ当時のレールが残ってる?」

髙森裕樹さん:
「当時のレールそのまんまです」

まるで、ここだけ時が止まったような不思議な光景が広がっていた。旧内子線の五十崎駅と喜多山駅を結ぶあわせて400メートルの区間だけ、当時のレールがそのまま残されている。

髙森裕樹さん:
「この廃線跡があるというのが、かつて大洲から内子まで鉄道が走っていた何よりの証拠と思います。こういったものが破壊もされず、撤去もされず、今の形のままそのまま自然に還っていく、その時までは見守れたらいいなと」

ここだけ時が止まったような不思議な光景
ここだけ時が止まったような不思議な光景

大洲市の「五郎駅」には旧内子線の名残も

続いて、旧内子線の起点となっていた大洲市の「五郎駅」に向かう。

案内してくれるのは、大洲市立博物館の学芸員白石尚寛さん。県内の過去の鉄道事情に詳しい専門家だ。

内木アナウンサー:
「旧内子線の名残りがあると聞いたが」

白石尚寛さん:
「あちらのホーム。元々国鉄時代は1番線、2番線、3番線という形でありまして、一番奥が内子線が出発のホームになります」

「一番奥が内子線が出発のホームになります」
「一番奥が内子線が出発のホームになります」

国鉄時代は2つのホームに3本の線路があった

五郎駅には、当時のホームが今も残っている。現在は1つのホームに線路は1本ですが国鉄時代は2つのホームに3本の線路があった。当時、五郎駅は大洲方面と双海方面の分岐駅で、乗り換えをする乗客たちで賑わったとか。

白石尚寛さん:
「1985年の段階で(1日に)約60本の列車が行きかっていた」

旧内子線の廃線と同時に五郎駅は無人駅になり、かつて50軒ほどが軒を連ねていたという周辺の飲食店や旅館なども、次々と閉店した。

乗り換えをする乗客たちで賑わったとか
乗り換えをする乗客たちで賑わったとか

観光列車「伊予灘ものがたり」の名物「タヌキのおもてなし」

五郎駅名物「タヌキのおもてなし」に秘められた地域の願いとは、予讃線の「海回り」を走るJR四国の観光列車、「伊予灘ものがたり」だ。

瀬戸内の絶景やおいしい料理とともに列車の魅力となっているのが、沿線住民による手作りの「おもてなし」。大洲市の五郎駅でも「タヌキ」に扮した住民たちが、ホームで手を振り乗客を歓迎する。「たぬき駅長」とは、近くで理髪店を営む井上裕介さんだ。

「たぬき駅長」とは、近くで理髪店を営む井上裕介さん
「たぬき駅長」とは、近くで理髪店を営む井上裕介さん

五郎駅にすみついた人気者タヌキがヒント

内木アナウンサー:
「どうしてタヌキ?」

井上裕介さん:
「ここが昔駅員さんがおったときに、餌付けをしていてタヌキが出てきてたので、それがきっかけでタヌキの扮装をしてやってみようと」

今から40年ほど前、駅の周辺には2匹のタヌキがすみついていた。「五郎」と「鉄子」と名付けられたタヌキは、駅員や地元の人たちにかわいがられ、人気者になっていたという。

2匹のタヌキは人気者に
2匹のタヌキは人気者に

タヌキ姿のおもてなしは今や五郎駅の名物

2014年の「伊予灘ものがたり」の運行開始に合わせ、井上さんの父・金徳さんが中心となった住民らは、駅のマスコット的な存在だったタヌキの姿で、おもてなしをすることを決めた。

たぬき駅長・井上裕介さん:
「旧内子線がなくなったところで人の交流がなかったり、行き交いがなくなったので、寂しくなった。さびれた感じになっちゃったので、伊予灘ものがたりが通るし、これで盛り上げてみようかと」

近所の人たちに協力を呼びかけ始まった「おもてなし」は、今や「五郎駅」の名物となった。

今や「五郎駅」の名物
今や「五郎駅」の名物

旧内子線の名残をいまに…地域の思いが長い線路のように

内木アナウンサー:
「いつも来てるの?」

タヌキの着ぐるみを着た森本桐誠くん:
「うん、楽しい」

桐誠くんの祖母・矢野直美さん:
「地域の雰囲気の良さとお客様の喜ぶ顔(がいい)」

地元の男性:
「田舎にいると人とのコミュニケーションがなかなかないんですよ。ここへ来ると近所の人も来るし、列車の中の人たちとお互いに笑顔で手振って」

たぬき駅長・井上裕介さん:
「これが長く続いてくれたらなと。私たちがいなくなっても今の『子だぬき』ちゃんが少しずつやってくれたりとか」

地域に暗い影を落とした旧内子線の廃線から約40年、沿線の駅は再び地域の人たちの心を結ぶ拠点となっていく。ここに生きる人たちの「思い」が長い線路のようにつながっていくのだ。

子だぬきも一生懸命おもてなし
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テレビ愛媛
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