震災発生直後から絵を描くことを通して子供たちを支えてきた人がいます。それから14年あまり、今の子供たちのほとんどは震災後の生まれですが、活動は形を変えながら続いています。
にじいろクレヨン代表 柴田滋記さん
「多分、私は『生きている証』を残したくて、絵を描いている」
石巻市に住む画家、柴田滋紀さん。アトリエにあるこの絵は震災の前に、柴田さんが自宅から見た景色を描いたものです。
にじいろクレヨン代表 柴田滋記さん
「石巻で生まれ育って、毎日見ていたとこなので、私にとっての石巻というか、原風景であり、毎日ある景色でしたね」
柴田さんは石巻で生まれ育ち、東京の大学で美術を学びました。大学院修了後は故郷に戻り、震災発生当時は絵画教室を開きながら、中学校で美術科の講師も務めていました。
津波で自宅を失った柴田さんは、自らも避難所に身を寄せながら、子供たちのための活動を始めます。
石巻を中心に各地の避難所を回り、子供たちと絵を描き、一緒に遊ぶというもの。
にじいろクレヨン代表 柴田滋記さん
「当時の辛さ、悲しみは、あの当時の特殊な環境」
NPO法人を立ち上げ活動を本格化させた柴田さん。震災発生直後、避難所で子供たちが描いた絵を見せてくれました。
にじいろクレヨン代表 柴田滋記さん
「避難所で子供たちが溶け込みにくかった。“絵しりとり”をやろうと、遊びからスタートした。我慢している子供が多かった分だけ、心の荒れ具合や暗さとか辛さが表現されている子が多かった」
活動を続けるうち、子供たちの絵には少しずつ変化が出てきたといいます。
にじいろクレヨン代表 柴田滋記さん
「この絵はいっぱい遊んだ後に描いた絵。自分の中で好きな感情があり、楽しい気持ちになって描けているのだろう。子供たちにとって遊ぶことが、どれだけ必要だったか救いだったか、こういうのを見ると、出ているんだろうなと思う」
それから14年あまり。今の子供たちはほとんどが震災後の生まれとなりました。
柴田さんたち「にじいろクレヨン」の活動は、少しずつ形を変えながら続いています。今は石巻市から委託を受ける形で、地域の子育て支援の拠点にもなっています。
この日は、地域の人たちと子供たちが交流するイベントを開きました。
柴田さんは子供たちに誘われて一緒にカードゲーム。できたての焼き芋や手づくりの豚汁をみんなで楽しみました。
にじいろクレヨン代表 柴田滋記さん
「子供たちと地域がつながる機会がなくなってきているので、こうやって地域の人たちと子供たちが一緒に触れ合えたら」
子供たちを地域で見守り、安心して過ごせる場所をつくりたい。柴田さんの思いは子供たちや親たちにも届いています。
参加した子供
「イベントはとてもいいと思います、楽しいから。みんなと遊べていいなと思います。地域の人たちはいろいろしてくれるから頼もしい。また来て遊んだり、いろんなもの食べたりしたい」
「でっかいマシュマロと豚汁とお芋、いっぱい食べました。いつもここで遊んでいるけど、また来たいっていう気持ち」
参加した子供の親
「周りの人たちがみんなで見守ってくれているという感じがすごくあるので、放っておいても大丈夫というか、昔ながらの見守り方みたいな感じで、安心して遊ばせることができる」
この日やって来たのは、絵画教室の卒業生です。高校生になり、今はボランティアとして、訪れた子供たちと一緒に遊んでいます。
絵画教室の卒業生 大森海音さん(17・高2)
「子供たちと過ごす時間は癒しというか、子供たちと同じ目線に立って伸び伸びできる時間です」
にじいろクレヨン代表 柴田滋記さん
「彼女はいろんなことを分かっているので、子供に対する接し方も、我々が大事にしていることを伝えなくても、子供たちに対しての関わり方は、むしろ我々が勉強になることもある。そういうのも含めておもしろい」
多くの子供たちを見守ってきた柴田さん。子供たちはいつも新しい気づきを与えてくれる存在だといいます。
にじいろクレヨン代表 柴田滋記さん
「子供のうちは感じたものをそのまま言葉で言ったり、表現したりとかするので、新たな見え方とか感じ方を気づかせてくれる存在」
当初は10年を一つの区切りと考えていたそうですが、今も活動を続けるのは、それぞれの時代の中で、子供たちが自分らしく生きることの難しさを抱えていると感じるからです。
にじいろクレヨン代表 柴田滋記さん
「震災後は震災という大変な環境があって、そして今は今で、伸び伸びとした時間が奪われているというか、本来子供たちが自分で生きられるはずの時間がものすごく少なくなっているので、そこを確保していく、意図的に作っていくことをしていきたい」
震災発生から14年7カ月。柴田さんは子供たちに寄り添い続けています。