2700人を超える命が奪われた「富山大空襲」から80年です。
富山県富山市では追悼式が開かれ平和への誓いを新たにしました。
富山市で行われた「感謝と誓いのつどい」。
先人をしのぶとともに戦争の悲惨さを後世に伝えようと毎年開かれていて、富山大空襲の遺族や市民など約200人が出席しました。
1945年8月2日未明。
富山市中心部にアメリカ軍の焼夷弾が投下され、市街地の99.5%が焼失。
被災した人は11万人に上り、2700人以上の命が奪われました。
式典では、空襲を4歳で経験した女性の体験談が朗読され、富山市立山室中学校3年の林実咲さんが「空襲の記憶を未来につないでいく」と訴えました。
*富山市立山室中学校3年 林実咲さん
「富山大空襲で激しい被害を受けた事実は変わりません。しかし、私たちの手で二度と同じ出来事を起こさせない未来へと変えることはできます」
この後、会場では献花が行われ、出席者が平和への誓いを新たにしました。
*空襲を4歳で経験 扇谷朋美さん
「焼い弾の火の粉が藁屋根に落ちると火が付くから13歳の兄が(火の粉を)払っている姿が未だに思い出される。辛かった」
「元気でいられることがありがたいと思って感謝の気持ちで生きていってほしいと思う」
*空襲を3歳で経験富山市遺族会 町村進会長
「(空襲から)熊野の方まで逃げた。その時にちょっとだけ覚えているのは富山が真っ赤だった。上の方に飛行機が飛び立っていた。なんてひどいことになっているのかという思いだけは(記憶に)ある」
「これだけあちこちで戦争をやっているのをどうにかして止めてほしい。まず、戦争というものを父が亡くなったのは戦争、絶対にやってほしくない。それが私の願い」