今回は鹿児島県鹿屋市で人気の梅干しの話題です。
85歳の男性が20年前に始めたんですが、その梅干し作りを引き継ごうと、農園には国境を越え、跡取りになる決意をした2人の女性が仲間入りしました。
どんな家族のストーリーがあるのか、取材してきました。
これが絶品の梅干しです。
皮が薄くて、タネが小さめ。この一粒一粒には仲良し家族の物語が詰まっています。
「話を聞くところ、和歌山の南高校の生徒が見つけた品種らしいですよ。だから南高校の『南高』らしい」
梅干しの品種「南高梅」の名前の由来についてこう教えてくれたのは鹿屋市で梅の栽培と加工を手がける堀之内辰男さんです。
現在85歳の堀之内さんが梅で事業を始めたのは65歳の時。
それまでは、カンパチなどを養殖する会社を経営していましたが、「地域に貢献したい」と、貯めた蓄えの全てをつぎ込んで山を買い、工場を建てました。
堀之内農園・堀之内辰男社長
「うちの奥さん何というかというと『そんなことしてくれるな』と『もう、出て行く』『もう離婚する』とまで言われた」
農園として購入した土地は、山の中。
堀之内さんは一人チェーンソーで木を切り、毎日のように開墾作業を続けたそうです。
今や10ヘクタールに広がった農園には、1500本以上の梅が栽培されるまでになりました。
堀之内農園では多い時で25人のスタッフが働いています。
そんな堀之内さん夫妻の支えになっている2人の女性がいました。
中国からやってきたウエさんとリュウさんです。
2人が最初に堀之内さんのもとを訪れたのは山の開墾作業が続いていた2007年。
技能実習生として必死に働いたそうです。
実習期間が終わり2人はいったん、帰国しますが、2人のことを娘のようにかわいがっていた堀之内さん夫妻はある提案をします。
「養子になって一緒に農園を続けないか?」
ウエ スウフェンさん
「悩みますね、人生で当時は一番大きな決断だったから。(中国で)大学に行くか、日本に行くか」
リュウ セナンさん
「最初、親は反対した。この木が大きくなってどんな実がなるか、気になって。やっぱり、自分が育てた木なので」
大きな決断をした2人は、2012年と2013年にそれぞれ再来日。
堀之内さんの勧めで、まず鹿児島国際大学で経営学を学びました。
そして、一緒に暮らし、4人で家族旅行にもたくさん行きました。
国境も、血のつながりも越えた4人の家族。
ウエ スウフェンさん
「養子になった)一番の目的はお父さんお母さんの面倒見るためだけど」
堀之内農園・堀之内辰男社長
「家族としては立派な家族ですよ。けんかもしますけどね。
ウエ スウフェンさん
「年齢が離れているから孫みたいな感じだから」
現在、リュウさんは農場と工場の責任者として働いています。
梅の収穫は今が最盛期。
完全に熟して、枝から落ちた実を丁寧に拾い集めます。
休みは日曜日だけで、雨の日も毎日作業をしているそうです。
リュウ セナンさん
Q.やめたいと思うことは?
「無いですね。やっぱり実がなったことをすごく喜ぶので」
一方、ウエさんは、語学力を生かして営業などを担当しています。
これは8年前の「外国人弁論大会」の映像です。
ウエさんは堀之内さんの前でこんな夢を語っていました。
ウエ スウフェンさん
「将来、貿易とかを通じて鹿屋の発展に貢献できたらいいなと思います」
その言葉通り、堀之内農園の梅干しは5年前からアメリカに輸出されるようになりました。
ウエ スウフェンさん
「これからも楽しく、仲良く、老後の面倒を見ていきたいと思っている」
家族で力を合わせて作り上げた梅干しは、塩加減も「いいあんばい」。
ハチミツ漬けは、甘さの違う2種類の調味液に漬け込み、ほどよい酸味と甘さが口いっぱいに広がります。
また、レモン香りと酸味が絶妙にマッチする「レモン風味」は、やみつきになるおいしさです。
堀之内農園・堀之内辰男社長
「ありがたいことにね。後継者のつもりで指導している。あんまり無理しないように頑張っていただければ」
これからも家族4人は力を合わせておいしい梅干しを食卓に届けます。