天皇陛下が初めて広島を訪問された1981年に宿泊された旅館の女将も今回の訪問に感謝の思いを抱いています。

江戸時代より石見銀山街道の宿場町として賑わった「世羅町」。

【玉乃家4代目・稲田嘉明 代表】
「この道に浩宮さまが来られてこっちに入られました」
「(Q:まさにこのルートで?)このルートで来られました」

昭和2年(1927年)創業の料理旅館「玉乃家」。

【玉乃家4代目・稲田嘉明 代表】
「(Q:玄関にもお写真が…)撮ろうと思っても撮れませんので。」

今から44年前の1981年に、浩宮時代の天皇陛下が、大学の卒業論文の取材で訪れた際に宿泊されました。

【玉乃家4代目・稲田嘉明 代表】
「お迎えするときの写真があるんですけど…」
「とにかくいつも通りお客様でという形で緊張しませんでしたね」

当時、旅館の女将としておもてなしした及川幸子さん、87歳。

【当時の女将:及川幸子さん】
「(世羅町の)今高野山は、お米を福山の草戸千軒までもっていっていたそういう輸送経路を調べに来られました」
「(Q:お人柄としてはどのような印象がありますか?)ごくごく普通ですよ。とにかくお行儀の良いもの静かな…」

あの日を振り返るこちらの部屋は、旅館の建物を新しくした際に、お使いになった部屋の建具をそのまま移設し、現在は「宮様の間」として大切に守られています。

中世の交通史をテーマに研究されていた陛下は、この空間で地元の先生から歴史などを学ばれ、またお休みにもなられたといいます。

また当時、召し上がった和食のメニューなど、お迎え当日までには様々な準備をしたいいます。

【玉乃家4代目・稲田嘉明 代表】
「天皇陛下の歩幅も全部計算して1か月くらい警察の人はグルグル警備をして…」「ここの廊下を増設しました。渡り廊下はすのこだったが廊下をつけたんですよ。1か月で突貫工事で…」

「(食事は)保健所の人に食べてもらって何回も何回も作って、お付きの方は(刺身など)生で食べられるが、浩宮さまは(エビの天ぷらなど)火を通した食事で…」

「昔ながらの、うちで出していた卵豆腐にエビをのせて、柚の香りをつけて山菜のつくしを昔からとっていたのでそれが前菜の中に1品入っていたり…」

宿泊された翌朝には、散歩に出かけ、豆腐屋に立ち寄られることもあったといいます。


19日、即位後初めて広島を訪問された天皇陛下…。

【当時の女将・及川幸子さん】
「(被爆80年のご訪問には)頭がさがるだけです…一生懸命ね…たくさん亡くなったのは広島県ですからね、原爆で…感謝します」

テレビ新広島
テレビ新広島

広島の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。