旧国鉄の連絡船「紫雲丸」が瀬戸内海で沈没し、乗客と乗員168人が亡くなった事故から11日でちょうど70年を迎えます。
児童と教員など25人が犠牲となった松江市の小学校では9日、事故の生存者が子どもたちに事故の記憶を伝える特別授業が行われました。

松江市の川津小学校。登校した児童たちが次々とある記念碑に手を合わせていました。そこには年配の女性の姿も…。

紫雲丸事故の生存者 渡部クニ子さん:
もう70年経ったんだなと思って…。忘れることはできませんね、当時のことを思い出します。

70年前の1955年5月11日に起きた「紫雲丸」事故を後世に伝える記念碑です。9日は、事故の生存者5人が学校を訪れ、記念碑に花を手向けて、亡くなった同級生を偲びました。

事故が起きたのは1955年5月11日。本州と四国を結ぶ旧国鉄の連絡船「紫雲丸」が瀬戸内海で貨物船と衝突し、沈没。乗客、乗員844人のうち、168人が犠牲になりました。
船には、修学旅行中だった川津小学校の6年生も乗り合わせ、児童21人と保護者、教員のあわせて25人が帰らぬ人となりました。

この悲惨な事故を忘れないよう川津小学校では、18年前から生存した人を学校に招き、その体験を聞く特別授業が行なわれています。
約200人の5、6年生を前に、生存者の1人である野津幸次さんが、当時の体験を話しました。

紫雲丸遭難事故生存者の会・野津幸次さん:
かばんとかがね、黒い油、水の上を流れている。また浮いたり沈んだりした人もたくさん見ております。

児童:
「命の大切さを感じました。川津小以外の友達にも伝えていきたいです」

「当時は怖かっただろうし、自分も怖いと思うけど、私もそんな場面にあったらがんばりたい」

紫雲丸遭難事故生存者の会・野津幸次さん:
私も高齢となりましたので、講演がいつまでできるかわかりませんが、川津小学校の紫雲丸活動・プロジェクトを通して、事故が風化しないように今後も続けていただきたい。

川津小学校では、事故の記憶を受け継ぐとともに水難事故防止の教室を開くなど、紫雲丸事故を教訓として生かす取り組みを続けることにしています。

TSKさんいん中央テレビ
TSKさんいん中央テレビ

鳥取・島根の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。