私たちは何を求めて生きているのでしょうか。僧侶の川村妙慶さんはこの問いに「幸せ」を求めて生きていると答えます。ただし「なんでも思い通り」が幸せとは言い切れません。仏教ではどう考えるのか、聞いてみましょう。

テレビ静岡で4月20日に放送された「テレビ寺子屋」では、僧侶でアナウンサーの川村妙慶さんが、私たちが本当に求めている幸せについて語りました。

◆幸せに直結する心と体の健康

僧侶・アナウンサー・川村妙慶さん:
「私たちは何を求めて生きているのか?」と聞かれたら、何を想像しますか? やはり、「幸せ」を求めて生きているのではないでしょうか。

「幸せ」とはWHOの定義では、「体、心、社会」この3つのバランスがとれたことをいいます。

まずは「体」。健康で長生きしたいですよね。

そして体は健康だとしても「心」に不安を抱えたりしたら、それは健康とは言えません。心とは安心感とも言えると思います。「家族と仲良く」「愛する人と、楽しく過ごす」といった人間関係の充実も、安心につながります。

しかし、お釈迦様は「あの人がいたら安心だ」「これからもこの人と共に生きていきたい」と思うのもわかるけれど、「それは楽しみであって人に依存することではない、いつか別れなければならないんだ」と教えてくれます。

さらに「お金」がないのも不安ですよね。お金は確かに大切ですが、争いの元になることもあります。

◆「思い通り」が幸せではない

「幸せ=思い通りになること」だと思っている人がいますが、仏教に「天人五衰」という言葉があります。

「天人」とは天にも昇るような嬉しいことを言い、あまりにも思い通りのことが続くと、「五つの衰え」が出てきますよと教えてくれるのです。その五つの衰えとは何でしょうか。

一つ目は生活に張りがなくなり、「生きている」という手応えが持てなくなる。

二つ目は「健康不安」。「健康で長生きしたい」という意識が強くなり、お金があると「これも買っておこう」「体にいいから飲んでおこう」などと、常に不安が襲ってくるということです。

三つ目は「気力の衰え」です。すべて思い通りになったことによって、自分は何のために何を目指して生きていくのか? という「目標」がなくなってしまいます。

四つ目は「誇りを失う」。最低人間として守らなければいけないことがありますが、思い通りになればなるほど、その感覚や意識が乱れてくるのです。

そして五つ目が「今の状態をなかなか喜べない」ということです。与えられているのに不満に思ってしまう。「当たり前」と思ったら「ありがとう」という言葉は出ませんよね。

◆社会の中で“今日”を生きる

さて、健康の定義のあと一つは「社会とのつながり」をもつことです。

たとえお金がたくさんあっても働く。退職なさった方だったら、何か奉仕をさせていただくなど、そうやって社会とつながり、具体的に動かないと気づかないことがたくさんあります。

大切なのは「今日、生きてみる」ということです。生きてみなければわからないことだらけです。

私たちには「宿業(しゅくごう)」というものがあります。その「業」をどうか引き受けて、コツコツと歩いてみませんか。「職業」にも業がつきます。たくさん仕事がある中で、なぜあなたはそのお役目なのですか?

それも「ご縁」なのです。そのご縁を、後輩や社会にもつなげてほしいのです。

私は何を求めて生きているのか。

「私は私であってよかった」とうなずけた時に、「生きていける」と思える。「この私がここに生きている」ということを喜びながら、まず今日を生きていきましょう。

川村妙慶:福岡県生まれ。真宗大谷派僧侶。関西を中心にラジオ番組のパーソナリティーなどをつとめる。ホームページで日替わり法話を毎日更新し、メールでの悩み相談にも応じている。

※この記事は4月20日にテレビ静岡で放送された「テレビ寺子屋」をもとにしています。

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