発生からまもなく2カ月となる岩手県大船渡市の山林火災。
多くの住宅が全焼した中、市内のカメラマンが思い出の品を失った人たちに、小学校時代の写真を無償で届ける取り組みを行っている。
大船渡市内の複数の小学校で、長年、専属カメラマンを務めている村田友裕さん(73)。
この日はサクラの木の下でクラス写真を撮影していた。
子どもたちの笑顔を引き出すため、フレンドリーに接することを心がけている村田さんは、児童からは「ムラピー」という愛称で呼ばれている。
写真家 村田友裕さん:カメラマンになりたい人?
子どもたち:はーい、絶対になります!
写真家 村田友裕さん:うそだから。カメラマンはもうからないからやらないほうがいいぞ。
その村田さんは、14年前の東日本大震災で被災を経験している。
カメラマンの傍ら印刷所も経営していたが、購入して4年ほどだった自宅兼事務所が流失した。
写真家 村田友裕さん(当時59)
「涙が出てきますね」
村田さんは震災の当日、カメラ1台を手に高台に避難し津波に見舞われる大船渡のまちを記録した。
写真家 村田友裕さん(当時59)
「『これだ』と普通なら思って写真を撮るが、ただただ(シャッターを)押して、終わってからすごいものが写っているという感じだった」
村田さんは震災を後世に伝えようと、東日本大震災発生の4カ月後には写真集を出版している。
その大船渡は2025年2月、今度は大規模な山林火災に見舞われてしまった。
今回、村田さんに被害はなかったが、心を痛め自分に何かできることはないか考えていた。
今回の火災で大きな被害が出た赤崎町の小学校でもカメラマンを務めてきた村田さん。保存している写真を家が全焼した世帯に無償で提供することを決めた。
写真家 村田友裕さん
「全てなくなったって聞いているので、私が持っているもので、小学校6年間の学校生活の記録が残ってくれれば、それでうれしいかなって」
運動会や修学旅行など、村田さんは各行事ごとに愛情をこめて写真を撮影してきた。
写真家 村田友裕さん
「修学旅行に同行するので一緒にバスに乗っていくんですけど、(初日の)夕方には全員フルネームで名前を覚えるんです」
膨大な写真の中から、今回被災した人が映る写真をピックアップ。その数は1人分で500枚にも上った。
そのうちの一人と対面することになった村田さんは、データを全て贈呈するのに加えて、数枚は印刷して渡そうと準備していた。
写真家 村田友裕さん
「1年生の親子競技の運動会です。玉よりも(身長が)低いんだから。やっぱりものが残った方がいい思い出になるんじゃないかなって思います」
そして迎えた対面の日。
村田さんを訪ねてきた赤崎小学校の卒業生・平子千寛さんは現在19歳で地元の企業に勤めている。
学校行事にいつも来ていた村田さんをしっかり覚えていた。
赤崎小の卒業生 平子千寛さん
「友達と2人で話しかけに行ったことを覚えています。村田さーんって言っていた記憶がある」
赤崎町外口地区に住んでいた平子さんは、今回の火災で自宅が全焼し、隣の祖母の家も全焼した。被害を初めて確認した日には無念の思いを語っていた。
赤崎小の卒業生 平子千寛さん(3月10日)
「やっぱりこうなってしまったかと心苦しい」
村田さんはさっそく、印刷してきた写真を平子さんに手渡した。
写真家 村田友裕さん
「(この写真が)小学校1年生の時の運動会」
赤崎小の卒業生 平子千寛さん
「小さいなあ、このとき」
写真家 村田友裕さん
「白玉の方がでっかいから」
赤崎小の卒業生 平子千寛さん
「(この写真は)陸上記録会。本当にあと1歩か2歩遅かったら失格になるギリギリのところで(バトンを)渡せた。みんなで最後(市で)優勝できたという本当に奇跡だと思った瞬間だった」
「(この写真は)学習発表会の主役・織田信長をやったときですね。このひげが取れるんじゃないかと本番中も心配だった」
写真を見るごとに様々な記憶がよみがえった。
赤崎小の卒業生 平子千寛さん
「この写真を見なかったら、もう思い出すことができなかったんじゃないかと思うので。こんなこともあった、あんなこともあったと、今思い出せて涙が出そうです」
「あの(山林火災の)時、(写真を)持ち出していればという後悔が本当にずっとあったので、こうやっていただけることは本当にありがたい」
震災の津波では、自身の息子たちの写真を失っている村田さん。
平子さんの表情に安堵した様子だった。
写真家 村田友裕さん
「カメラマンとして、こういったものが残せて渡すことができたことは、よかったと思います」
村田さんは2025年度も、学校カメラマンとしての仕事をスタートさせている。
村田さんが子供たちに話しかける。
「今度は運動会が楽しみだからね。写りたい人はカメラの前に来たら(走る)スピード緩める。撮りやすいのよ」
写真を通して地域に貢献したい。その思いを胸に、これからもシャッターを切り続ける。