【化学】自治体やスタートアップ企業などと連携し、社会課題の解決を目指す施設「エア・ウォーターの森」を昨年オープンさせ、注目を集める産業ガス大手「エア・ウォーター北海道」(札幌)。庫元達也社長に地域と共生する経営について聞きました。
スポーツに明け暮れた子ども時代 体育教師への夢をあきらめ、会社員に
――ご出身はどちらですか。
「道南の今金町で生まれましたが、2歳から札幌に来ており、まあ、札幌出身で通しています。ずっとスポーツをやっていましたね。小学校時代は少年野球をやって、中学からは陸上競技、長距離を。ずっと体育会系の生活をしていました」
――学生時代、社会に出ていくところは、どんなふうに考えていましたか。
「体育教師になりたいなと、常々思って関東の大学を推薦で受験したのですが、失敗しまして。教師に目指す方向で行きたかったのですが、目標を失った時に、であれば自分で稼いで、生活を成立させた方が良いかなと。ちょっと大人びた考えがあったのか、(大学進学をあきらめ)会社員をやったということですね」
新聞の求人広告を見て採用試験に応募 狭き門を突破し転職
――ということは、そこから転職されたってことですね。
「たまたま北海道新聞さんを読んでいたら、求人欄に今の会社の前身の北海道ほくさん販売の求人広告がありまして、それで願書を送りました」
――新聞の求人広告で入社されたってことですか。
「当時、(就職の情報収集は)やっぱり北海道新聞さんの広告で。僕は平成5年の1月1日の入社ですが、200名受けて入ったのは4名ですね」
――狭き門ですね。会社に入られ、どんな仕事をされていたのですか。
「(入社当初は)生活エネルギー系にいました、売るという営業ですけど、売るというよりは、本当に毎日、作業服を着てガス工事だとか。技術をやりながら販売していたという、最初はそういう時期でしたね」
「新しいことをやってみろ」 開発した家庭用給湯暖房システムの責任者に
――その中で、考え方が変わるような経験はありましたか。
「上司の言うことを『はい、わかりました』という素直な社員ではなくて。当時の上司から言うと、決して使いやすい社員ではなかったのではと思っています。うちの会社が2009年ぐらいから、家庭用の給湯暖房システムを開発し、『VIVIDO』の商品名で世の中に打ち出すと、『新しいことを、おまえ、やってみろ』みたいな形でその責任者になりました。ただ、当時はオール電化住宅が主流で、あんまり売れませんでした。(その責任者に)2010年10月になって、翌2011年に東日本大震災があり、電力会社のいろいろ事故もあってですね、住宅で使うエネルギーは必ずしも電気は電気、ガスはガス、灯油は灯油―みたいな一つのエネルギーを選ばなくても生活できるんだということに、生活者の方がだんだん気づいてきて。ハイブリッドな家庭の暖房機器があるのだと、ちょっと認知されまして、そこから少し売れてきました。
――ということは、売れなかったものでも世の中が変わることで売れる―みたいな転機もあるということですね。
「そうですね。家庭で煮炊きするガスのコンロと、お湯を使う給湯器と、暖房系の機器には、それぞれ優位点があるので、うちは全部ガスに変えるのではなくて、電気の良いところは電気を使って、ガスの優位性はガスを使う。電気とガスのハイブリッド機器だったので、当時の消費者の方には受けたのかなという感じがします。
道内自治体に10億円を寄付する制度を新設 課題先進地の北海道を支える
――地域貢献へのお考えは。
「北海道って、ちょっと前までは課題先進地域。全国に十年先駆けて、いろいろな問題が進んでいると言われていたのですね。北海道特有の課題ではなくて、日本全国地方エリアが抱える問題。たまたま北海道は十年先駆けている。いろいろな市町村に継続的な恒久的な寄付をエア・ウォーターグループとしてやってはどうかと、2023年度から2030年度まで8年間でトータル10億円を寄付する制度を立ち上げました。当初、エア・ウォーターという1企業に自治体さんが反応してくれるのかと、不安がありましたけど。非常に反響をいただいて、自治体さんも新しいことをあの企業と一緒にやるっていう機運が少し高まってきたのではないかと少し感じています。
――未来に対し、エア・ウォーターとして投資していくことに、何か新しいプロジェクトや新しい動きはありますか。
「昨年12月に札幌の中央区の桑園エリアに『エア・ウォーターの森』という建物を開業しました。うちのコーポレートスローガンに空気、水、そして地球に関わる事業の創造と発展に英知を結集する、とあるんです。まさにエア・ウォーターの森のコンセプトは外部の企業さんやパートナー企業さん、北海道の179市町村のいろいろな方々、道庁さんなど、そういった英知を結集すると、コーポレート(スローガンの)最後の最後にあるのですが、まさにそれを体現したような建物ができて、これから、そういう方と、いろいろなものごとの創造とか、事業創造をしていきたいというのが今、スタートしたばかりですね。
――ただのオフィスビルじゃないですもんね。
「そうですね。当時、企画部長という立場で携わっていましたけど、よもや開業する時に社長をやっているとは全く思ってなかったので、非常に引き締まる思いっていうか、プレッシャーしかないというか、そんな日々です」
「経営のプロより北海道を分かっている人に」 トップの一言に社長就任を受諾
――社長に就任された時は「えっ」ていう驚きだったわけですか。
「(会社に)入ったのも道新さんの求人広告を見て、転職を思い立って。そういう会社員を始めた人間が、よもや社長をやれって言われるとは夢にも思っていませんでした。エア・ウォーターグループのトップにその時、言われたのは『経営のプロじゃなくて、北海道のことをより分かっている人間におれは任せたいんだ』と。まあ、確かに北海道のことは隅々まで割と分かっている方だなというのと、そういう役回りが回ってきたのだということで、思い切って受けたという経緯ですね」
――新しく変えたことや、取り組んでいることは。
「昨年4月に社長に就任した時、関連事業会社の社長も変わったんです。若い社長って、いろいろなことをスピード感を出してやっていけるだろうという想像で、抜擢されているので、スピード感を殺してはだめだなと。社員も社長が若くなると、会社が変わるのかなっていう雰囲気を感じるわけですよ」
――その中でエア・ウォーターの森の完成は、もちろん外に向けても(発信力や影響力が)あるでしょうが、中に対するインパクトも相当大きかったんじゃないですか。
「エア・ウォーターの森」を誇りに思う社員の姿に、こみ上げたうれしさ
「12月6日に開業する前に、社員向けの内覧会を開き、新しい建物を眺める社員の顔を黙って見ていたんです。自分の勤めている会社が未来に向かって事業創造し、こんな立派な建物を建てられ、こういう会社に自分は勤めているのだって、目がキラキラしていたんですよ。社員の素直な表情だなと思って、そこに携わって少しうれしく感じ、非常に良かったなと今は思っています。
――北海道を誰よりも知っているというトップの次の取り組みは。
「1929年が前身の北海酸素という会社の歴史が始まって、あと何年かすると、百年を迎える歴史がある中で、次の百年を約束されているかというと、決してそうではなくて、今の現役の社員が、昔の諸先輩たちが開拓してきた仕事のレールみたいなものを増やして、次の世代につないでいくのが企業の使命だと思いますので、僕を含めた社員の方が、次の世代にたすきを良い意味でつないでいく事業ができる会社になれば、私が社長をやっている意味が少しでも出てくるかなと思っております。
目指すのは、未来に向かってつなげ、産業や生活に関わり続ける企業
――この先、どんなビジョンをお持ちですか。
「パーソナルな話でちょっと気恥ずかしいですけど。今年55歳で、子どもはまだ6歳と4歳の男の子2人です。この子どもが成人する時には、僕はたぶん現役を退いていると思いますけど。未来に向かってつなげていく大切さ。子ども世代が成長してきた時に、エア・ウォーターグループが今の形じゃなくて、いろんな形で人々の産業や生活にずっと携わり続ける企業であれば、お父さんがこの会社にいたなと、少し記憶の隅にでも残ってくれれば良いかなと、思っています」
――若いころから、新しいものをしっかりと受け入れて、形にしていく前進力が本当に強かったんだと今日お話をうかがって感じました。