KTSライブニュースでは2025年度「戦後80年」と題して、戦争と平和について様々なテーマでお伝えします。
今回は鹿児島県の奄美大島からです。
瀬戸内町には、戦時中に使われていた旧日本軍の軍事施設の一部が数多く残されています。
瀬戸内町では平和や観光に役立てるため、このような戦争遺跡の調査を進めていて、3月、ドローンを使った測量調査を行いました。
新たな発見はあったのでしょうか。
取材しました。
人口約8000人の瀬戸内町。
戦時中は本土防衛の前線基地として、旧日本軍の軍事施設が数多く整備され、その一部が現在も残っています。
こちらの西古見砲台跡は旧陸軍が整備したもので、敵の艦船を見張る観測所のほか、近くの山陰には、観測所から連絡を受けて敵を攻撃する砲台の陣地などがあります。
瀬戸内町ではこうした「戦争遺跡」の分布調査を2014年度から本格的に始め、これまでに206カ所の軍事施設跡を確認しています。
その一部は2年前に「奄美大島要塞跡」として国の史跡に指定されました。
ただ、瀬戸内町ではいまだ未確認の場所も多く残されています。
奄美支局 麓伊賀久記者
「ここ瀬戸内町ではこれまでの調査で数多くの戦争遺跡が確認されていますが、今回は人が立ち入れない場所をドローンを使って調査します」
今回調査が行われたのは加計呂麻島です。
1機のヘリコプター型のドローンが飛び立ちます。
長年、戦争遺跡の調査を行っている瀬戸内町教育委員会の鼎丈太郎さんに狙いを聞きました。
瀬戸内町教育委員会の埋蔵文化財担当・鼎丈太郎さん
「今回、ドローンで測量したい所の一つがこちら。一段高い尾根の部分に海軍の砲台がある。まだ調査があまりされていない」
多くが山林に囲まれている瀬戸内町。
奄美特有のハブのリスクもあり、調査ができていない部分をドローンで空から可視化します。
今回1週間にわたって調査したのは、島の東側にある安脚場砲台跡と中央部に位置する「大島防備隊本部跡」です。
ドローンの底に取り付けた高精細のレーザーを照射することで、木々が生い茂っている場所でも地面の起伏などがわかるといいます。
調査の結果がでたということで、9日、鼎さんのもとを訪ねました。
こちらは島の中央部大島防備隊本部跡の航空写真です。
ドローンで調査した結果、地形図がこのようにあぶりだされました。
海側には船が停泊する「ドック」と呼ばれる場所、そして鼎さんが注目したのは画面左の方。
小さな穴が複数ある場所は機関銃の陣地とみられ、大きなくぼみは爆弾が落ちた後とみられるということです。
瀬戸内町教育委員会の埋蔵文化財担当・鼎丈太郎さん
「大島防備隊本部は80年前の4月2日に大規模な戦闘があった場所。米軍機の攻撃をかなり受けていて、その時の爆弾の跡が残っているということではないか」
もう一つの安脚場砲台跡では、旧海軍の砲台や指揮所とみられる痕跡も確認できたということです。
いずれの場所も住民からの情報や文献資料などで、ある程度の存在は把握していたそうですが、爆弾のような痕跡はこの調査で初めて明らかになりました。
鼎さん
「爆弾の跡が80年後の今も、その当時の状態の形で残っていると分かったことが一番驚き」
瀬戸内町が戦争遺跡の調査を進める中、地元の高校生にもその重要性が理解されつつあります。
古仁屋高校では地域の課題を見つけ、解決策を考える部活動「まちづくり研究所」の生徒が戦争遺跡の活用方法などを模索しています。
古仁屋高校「まちづくり研究所」の生徒
「たくさんの戦争遺跡があるということは、後世にこの事実を伝える上で非常に重要なこと」
古仁屋高校「まちづくり研究所」の生徒
「重要な文化財とか史跡が残っているので、そういうものを多くの人に伝えていけたら」
こうした高校生の活動に鼎さんも頼もしさを感じています。
瀬戸内町教育委員会の埋蔵文化財担当・鼎丈太郎さん
「自分たちの目で見て確認して、『これを次の中学生や小学生に伝えたい』との言葉もいただいたので、そう考えてくれていることがとても良いことと思っている。できるだけ長く、こういうものを後世に伝えることによって、戦争の記憶を途切れさせないことが重要」
奄美大島には現在、ミサイル部隊などが配備された陸上自衛隊の施設があり、「防衛の要」としての位置づけは昔も今も変わっていません。
戦争の記憶を静かに伝える戦争遺跡を眠らせることなく、そこから学び、考える大切な資料として、しっかりと後世に引き継いでいくことが求められます。
KTSでは戦後80年にあたって、戦争を体験された方々の貴重なお話や戦争を体験したご家族が残された資料やお話を募集しています。
戦争を二度と繰り返さないために、皆様からの貴重な情報をお待ちしています。