太平洋戦争末期、沖縄へ向かう途中で沈没した、戦艦「大和」を中心とする艦隊の戦死者を弔う慰霊祭が、鹿児島県の徳之島で行われました。
世界最大の戦艦「大和」は沖縄に侵攻したアメリカ軍を攻撃するため、9隻の護衛艦とともに出撃しました。
しかし、昭和20年4月7日、多数のアメリカ軍機の空襲を受け、大和を含む合わせて6隻が沈没しました。
大和の沈没地点は1980年代の海底調査で、枕崎市沖と判明するまでは「徳之島沖」と考えられていたことから、徳之島の伊仙町には大和艦隊の戦死者を弔う慰霊塔が設置されています。
8日は慰霊塔前で、3700人余りに上った日本艦隊の戦死者を弔う慰霊祭が行われました。
大和が沈んだ午後2時23分…
「黙とう」
大和沈没から80年を迎える中、艦隊の生存者や遺族の高齢化が進み、2025年の慰霊祭に出席した艦隊の関係者は1人だけでした。
大和艦隊所属だった男性の後輩・杉浦 秀延さん(愛知県)
「こういう事実が80年前にあったことを、正しく今生きている方に知ってほしい。亡くなった方の犠牲の上に、今の平和な日本があることをもうちょっと考えてほしい」