二度と悲惨な戦争が繰り返されないことを願い、読谷村や北谷町では1日この日を忘れず、80年前の記憶を繋ぐための取り組みが行われました。
1日正午、読谷村では防災無線を使って黙祷が呼びかけられました。
読谷村 石嶺傳實村長:たくさんの住民が亡くなった戦争被害の発端となった本島上陸。その日が4月1日ということでこれから続く悲惨な出来事を忘れないように
小さいころから遊んでいたビーチは80年前、日本軍とアメリカ軍の戦場だった・・・
読谷高校 新城あかりさん:
沖縄は地上戦を体験してこの渡具知の浜から上陸したというのを学んで、世界中の人が笑顔で暮らせるように私達がもっと平和を発信していけるように頑張りたいなと思っています。
北谷町砂辺では、ピースメッセンジャーとして活動してきた中高生や大学生が戦前やアメリカ軍が上陸してきた時の様子を地域のお年寄りや子どもたちに伝えました。
男の子:(戦争の話を)先生から聞くけど、あまり分からない。学校では詳しくやらないけどここでは詳しく聞けた
ピースメッセンジャー上間瑛叶:
主体的に学びたいと考えている自分たちが動いて、同じ世代や次の世代、小さなこどもたちまで伝えていく役目があると思っています
若い世代が戦争の記憶を繋ぐ決意を新たにしています。
80年前、この場所から3カ月におよぶ熾烈な地上戦が繰り広げられ、命を落としたのは日米合わせて20万人、沖縄県民の4人に1人が犠牲となりました。
1日も沖合を頻繁にアメリカ軍機が飛び交いました。沖縄戦はいまも続く沖縄の過重な基地負担の原点でもあります。
80年が経過する戦争の記憶をどう受け継ぎ平和な島を守っていけるか、今を生きる私達に託されています。