80年前の沖縄戦で渡嘉敷島では、住民の強制集団死いわゆる集団自決が起こりました。
犠牲者の名前が刻まれている「白玉之塔」では28日、慰霊祭が執り行われ島の悲劇を後世に語り継ぎ、平和の尊さを発信していく決意を新たにしました。

1945年3月27日、アメリカ軍は沖縄戦で初めての上陸地となった座間味島に続いて渡嘉敷島に上陸しました。

その翌日の28日、追い詰められた住民たちは旧日本軍から配られた手りゅう弾を使って自ら命を絶ったほか家族の首を縄で絞めたり、鎌や鍬で互いに手をかけるなどした強制集団死、いわゆる集団自決が起き少なくとも330人が犠牲となりました。

渡嘉敷島の悲劇から80年。沖縄戦で犠牲となった住民や兵隊およそ600人の名前が刻まれている白玉之塔では慰霊祭が執り行われました。

慰霊祭に足を運んだ住民の中には、80年前の悲劇を生き延びた人々の姿もありました。

新里武光さん(88):
玉砕するといってたくさんの人が集まってきたから、兵隊あがりのうちの叔父さんが、「人が集まるところには攻撃をたくさんやられるからあっちに行きなさい」ということで、お母さんと一緒に逃げたんですよ

吉川嘉勝さん(86):
戦争のことを時系列で記憶している最も若い世代だと思います。当時6歳くらいですからね。戦争というのはどう惨いものであるかというのを、集団自決を通して語ってきたつもりです

座間味昌茂さん(84):戦争というのは当時味わった人しか分からないというような話もありますけど、平和であってもらいたいと、いつまでも。子々孫々まで

集団自決の翌日に生まれた松本好勝さん(79):
願うのは「忘れじと思う心は白玉の塔に託して永久につたえん」ということではないですかね

兵隊だった父を亡くした男性:
私らきょうだい3人ともみんな80を超えましたから。今年は最後の機会になるかもと

悲劇から80年が経過し、当時を語れる人がほとんどいなくなった中で、参列者は島に刻まれた悲しい記憶を風化させず、伝えていく決意を新たにしていました。

沖縄テレビ
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