がんで亡くなった24歳の娘。父親は「いつか家族でカフェをやろう」と娘と夢を語っていた。その約束を果たすため会社を辞め菓子作りを学んだ57歳の父親は、家族の夢だった“カフェ”を開いた。
がんで亡くなった24歳の娘
娘がなくなった日から2年4か月。佐賀・多久市にオープンしたカフェは、家族の夢だった。

カフェを開いたのは江口浩二さん(57)。2022年8月、娘の穂花さんをがんで亡くした。24歳だった。

卵巣がん “余命3カ月”
明るく社交的だった穂花さん。大学卒業前、下腹部の張りを訴える。卵巣に腫れが見つかり、「卵巣がん」と診断された。抗がん剤治療を始めるが、医師から宣告されたのは「余命3カ月」。

穂花さんは、残された時間を惜しむように家族や友人とたくさんの思い出を作った。そうした中、病状が進むにつれて思い通りに体が動かなくなっていく。
娘の闘病生活を語る父親
闘病生活を続けていた頃の穂花さんを語る父親の江口さんの目には涙がにじむ。

「だんだん立つこともできなくなる。ソファに座っていても、立とうとして、あれ?あれ?と言う。力が入らない。食べ物も入らない水も入らないし…(亡くなる)ほんの何日か前。娘が『やっぱり死ぬのかな…』と話をしてくる。なかなか答えようがないというか…『死ぬわけないやっか』みたいな感じで…」

最期は、穏やかな表情で別れのときを迎えたという。
江口浩二さん:
寝ていて朝何時ごろだったかな…(午前)5時前ぐらい。かみさんが目を覚まして娘の様子を見たら『動かない』と…
50代で会社を辞め菓子作り学ぶ
穂花さんの死去から約1年半。2023年3月、佐賀市の西九州大学佐賀調理製菓専門学校で卒業式が行われた。

卒業式に出席した若い世代の中に、当時56歳だった江口さんの姿があった。35年勤めた会社を辞めて菓子作りを学び卒業の日を迎えたのだ。

江口さんは亡くなった娘との約束を語る。
「コーヒー屋さんをやりたいねと娘とは話をしていた。いつか、家族でカフェをやろう」

専門学校卒業の日、江口さんは「娘の友達、地域の方が気楽に来られるような店を開いていきたい」とカフェのイメージを語っていた。
江口さんは、穂花さんとの約束を果たすために新たな人生を歩み出した。
家族の夢だった“カフェ”完成
専門学校を卒業して約1カ月。
レジの場所やケーキを並べる棚のサイズなど、江口さんは、カフェの内装について何度も打ち合わせを重ね、少しずつイメージを膨らませていく。

カフェは自宅の車庫を改装して作ることに。工事開始から約3カ月間で落ち着いた雰囲気の店が完成した。

オープンが近くなったこの日はメニューを考案。店は妻の美千代さんと2人で経営する。穂花さんの同級生も駆けつけ、SNSでの告知など開店の準備を手伝ってくれた。

穂花さんの高校の同級生:
いろんな人に来ていただいて、みんなが楽しく過ごせるカフェになってくれたら。(穂花さんも)喜んでくれるかなと…

娘の誕生日にオープン
そしてオープンの日を迎える。この日は穂花さんの誕生日だ。

店名は「Coffee Roast HONO」。亡くなった日から2年4カ月。穂花さんとの夢が形になった。

穂花さんの母親 美千代さん:
娘が喜ぶように頑張りたい。『お母さん頑張ったね』って言ってもらえるように

厨房では江口さんが専門学校で学んだ技術を生かして菓子作り。美千代さんは接客などを担当。店には夫婦を応援する知人や友人が続々と訪れた。

穂花さんの小中高の同級生は「気軽に来て(穂花さんを)思い出して。第2の実家みたいな感じで通いたい」とオープンしたカフェへの思いを語る。

穂花さんの夢をつないで家族で開いたカフェ。新たな生活が始まるお父さんとお母さんのそばには、いつも笑顔の穂花さんが寄り添っている。
江口浩二さん:
(穂花さんが)喜んでいると思う。お母さんと一緒に頑張るからねって報告したいかな
(サガテレビ)